半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

お風呂で寝る人は実は失神しているという話


   冬の真っ只中のこの時期、温かいお風呂に入るのは至福の時間です。湯船にゆっくり浸かっていると、日本人で良かったなあなんて気分になる時もあります。

   ぬくぬくと温まっていると気持ち良くなってそのままウトウト…という経験は多くの人にあると思いますが、実はこれが危険な状態という話があります。

◆お風呂で寝る=失神⁉︎

   お風呂で湯船に浸かると眠くなるというのは、一般的な眠気とは異なります。入浴時に起こる血圧の急激な上昇と、その後の血管の拡張によって起こる血圧の降下に伴って、一種の失神状態になっているというのが実態だそうです。

   高血圧の方は特に注意が必要で、また高齢者が風呂で意識を失う、いわゆるヒートショックと言われるのもこの状態を指します。話題になったのでご存知の方も多いかもしれません。

   危険なのは湯船で失神すると溺水の可能性があるということです。話によるとこれにより年間1万人以上の方が亡くなっているそうで、交通事故よりも件数が多いです。気持ち良く眠っていたのが実は溺死の危険性があった…というのは怖い話ですね。

◆楽しいお風呂時間を

   これを防ぐためには、寒い時期は脱衣所や浴室を温めてから入浴することです。また、入浴前のかけ湯をしっかりする、半身浴にする、水分を取るなどの方法があります。1人暮らしでない場合はお風呂に入ることを家族に告げる、長時間出てこない場合は様子を確認するということを心掛けるのも良いでしょう。ヘトヘトに疲れ切っている時は一度寝てから入浴するかシャワーで済ます、それ以外にも眠くなったらすぐに上がるということも有効です。

   とはいえ寒い時期のお風呂は他に代え難い癒しの時間です。お風呂でぼーっとしていてブログのネタを思い付くこともあります。身体に起こりうる変化を知って、安全にお風呂時間を楽しみましょう。



これキャンプにすごく良い。即席露天風呂。


脳髄に捧げる幻魔作用(ドグラ・マグラ)

   … … … …ブウウ ― ― ― ― ― ―ンンン ― ― ― ― ― ―ンンンン … … … … … … 。
   「 … …お兄さま 。お兄さま 。お兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さま 。 … …モウ一度 … …今のお声を … …聞かしてエ ― ―ッ … … … … 」
   スカラカ 、チャカポコ 。チャカポコチャカポコ … …
   … …ブウウウ … … … …ンン … … … …ンンン … … … … 。

   という本です。

◆読むと精神に異常をきたす本

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)


   有名な本なので聞いたことがある方も多いでしょう。読むと精神に異常をきたすとか言われているので、知名度の割に実際に読んだことのある方がどれくらいいるのか気になるところです。かくいう私も手を出さずにいたのですが、怖いもの見たさも手伝って読んでみました。日本三大奇書の1つと言われているだけあって、内容は奇妙奇天烈、複雑怪奇な趣向です。冒頭の抜粋を見ていただいただけで雰囲気は伝わるかと思います。

   主人公の男は大学病院の精神病棟で目を覚まします。しかし記憶が一切無くなっており、自分の名前すらも思い出せません。そんな主人公の前にこの大学病院の医学部長である若林博士が現れます。博士曰く、主人公はある重大な犯罪事件に関わっており、自身の記憶を取り戻す事が事件解決の大きな鍵を握っているとのこと。そして若林博士の前任であり、「狂人の解放治療」という壮大な実験を行っていたが自害した正木博士という人物が遺した研究資料が記憶を回復するきっかけとなるだろうと言い渡されます。正木博士の資料に目を通す主人公ですが、それはとても普通の文章とは言えない奇妙なものでした。更に主人公の前に自害したはずの正木博士が現れ…。

   古い漢字や仮名遣いが多用されているので、お世辞にも読み易いとは言えない体裁です。これだけで読者を遠ざけてしまっている感が否めません。また、不可解な記述が延々と続く中盤に話の先が見えず、読むのを諦めてしまいそうになります。しかしそれを乗り越えると終盤で物語がきちんと展開します。

唯物論と観念論

   話は人間の精神というものの不可解さ、業の深さ、そうしたものは人の身体のどこに由来するのか(脳髄という言葉が繰り返し出てきます)といったことを巡ります。私が興味を引かれたのが、正木博士の言を借りて、世の中の科学技術と言われるものが唯物論に偏り過ぎており、観念論の重要性が蔑ろにされていると作者が批判していると思われる点です。

   唯物論と観念論とは、哲学の分野でよく使われる対義的な概念です。大雑把に言うと、観念や精神、心などの根底には物質があると考える唯物論に対して、精神の方が根源的で、物質は精神の働きから派生したとみるのが観念論です。

   認識論などにおいても、例えば人間の個性について考える時にどちらの立場を取るかで考え方が違ってきます。唯物論では、人間にはもともと個性などなく、生まれた後に形成され発展していくものであるとします(精神とはあくまで後から派生する)。対して観念論では、個性は先天的に持って生まれてくるものであり、もとより備わっていると考えます(精神的なものが先にあり、それが肉体に宿る)。世界の在り方をどのように見るかという大きな問いに対する解釈の違いなので、容易に答えが出るものではなくこれだけで幾つものことを議論の俎上に上げなければいけません。私もまだまだ勉強不足です。ですが簡単に済ませると、個性の例を見るに世の中一般としては観念論が優勢であるように思えます。

   私見ですが、観念論は精神がもともとあるものとして考えるので、色々な事の説明が比較的簡単に済んでしまいます。よく分からない個性という問題も、それがもともとあるものとしてしまえばその構造や成立過程をそれ以上追及しなくていいからです。一方唯物論は観念や精神を前提にしない分、物事の構造や成り立ちを徹底的に暴かなければならず、より厳密さを求められる厳しい立場です。人は楽をしたがるのでつい観念論的に思考しがちですが、学問として広く一般に役立てる論を打ち立てるならば、唯物論の立場から説くのがより本質的ではないかと思います。

   とは言うものの本作は精神の不可思議さを主題にしているので、観念論を重要視するのは必然でしょう。

   もう1つ興味を引かれたのが、本筋とは関係ありませんが、幽霊などのいわゆる心霊現象と呼ばれるものは人の精神活動の結果起きる類ものである、と書いている点です。幽霊の正体見たり枯れ尾花、病は気から、などと言いますが、霊的なものを人の精神が引き起こした現象と考えている点に新しさを感じました。

   難しい本ですが、話のタネと脳髄の肥やしに一読してみるのも一興です。

   しかしブウウ……ンン……ンンン…なんていう時計なんてあるんですかねと思っていたのですが、どうやらモデルとなった時計が存在するそうですね。

◆というわけで

   新年明けましておめでとうございます。今年一発目がこれかよ!という記事ですが、読んだことがネタになるというインパクト重視で書きました。少し精神がおかしくなっているのかもしれません。
   本年もマイペースですがやっていこうと考えていますので、拙ブログを宜しくお願い申し上げます。






これは革命である:モバイルハウス 三万円で家をつくる



   「マトリョーシカ的日常」というブログを書いていらっしゃる局長様(id:kyokucho1989)のこの記事に食い付いて本を3冊も譲っていただいたので、1冊目の感想を綴ります。書くのが随分と遅くなってしまいました…。

◆モバイルハウスという「新しい家」


   タイトルだけで既に惹かれるものがあります。家というと人生最大の買い物と言われるように、高額なものであるという前提を私達は刷り込まれています。そこへきてこのタイトルは大いに挑戦的であり、中身が気になろうというものです。

   著者の坂口恭平氏は建築家を志していたものの現在の建築界に疑問を感じ、路上生活者の家を調査することをフィールドワークとしながら多くの著作を出している人物です。「独立国家のつくりかた」という本で話題になったので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

   本書は著者が隅田川沿岸で見つけた一軒の路上生活者の家をきっかけに、車輪の付いた動く家、「モバイルハウス」を自分の手で作っていく過程を描いたものです。

   既存の家の在り方に疑問を抱くくらいですから、著者の思考態度には対象を根源から見つめ直す視点があり、常識に囚われがちな凡人(私)にとっては刺激的で好感が持てます。著者もそれを分かっている節があり、読者を煽るような革命家然とした雰囲気があります。また本筋とは関係ありませんが、著者の書く文章にはどこか小気味良いリズムがあり、どんどんと読み進められます。


◆本書が問う「家の在り方」

   さて本書では、家賃を獲得しようとする土地所有者たちの視点だけでしか規格や家賃が考えられていない賃貸住宅、また持ち家も何千万円も払って土地に縛られた家を購入するが、本来人間が土地を私的に所有することの正当性を誰も論じることができないという、既存のシステムに対する疑問が主題の一つとなっています。

   私達は既に出来上がっている仕組みに対する疑問はあまり持たない(ように仕向けられている)傾向にありますが、考えてみればこうした選択肢は誰かに都合が良いように予め用意され、その範囲の中で自由に選んでいると思わされているのが現実です。

   私も本書を読む前から、何十年も借金を返し続けなければいけないローンを組んで、決まった場所に大金をはたいて家を持つという在り方に疑問を抱いていました。こういうことを書くと色々な人に怒られそうですが、地震を始めとした災害や原発事故のリスクを無視できないこの国で、身の丈に合わない借金を抱えて土地に縛られるというのはどうにも二の足を踏んでしまいます。かといって賃貸に住み続けると家賃を払い続けないといけないし、礼金というよく分からないお金も払わされたりと、行くも地獄、戻るも地獄状態です。

   そもそも家の値段は何故あんなに高額なのでしょうか。ローンという仕組みも銀行が合法的に搾取する現代の奴隷制のような側面があります。さらに言うなら、お金という仕組みも誰かの都合が良いように作られた仕組みに過ぎません。



   少々筆が滑りました。

◆システムを外れてみると面白いよ

   面白いのは、モバイルハウスというのは車輪が付いているので土地と定着しておらず、現行の法律では建築物とはみなされないということです。

“つまり、モバイルハウスを建てるには、建築士の免許も不要で、さらに申請をする必要もなく、不動産の対象にもならないので固定資産税からも自由である。”
“モバイルハウスはもちろんエンジンがあるわけではないので自動車ではないが、自動車で牽引することができるキャンピングカーとは言うことができる。駐車場に家は建てられないが、キャンピングカー的なものであれば駐車することができるはずだ。”

   こうして車輪の付いたモバイルハウスを自力で造り、駐車場に置くということで三万円で家をつくることが可能になります。このように、既存のシステムから外れてみると意外な発見、もう一つの現実と呼べるような世界が存在していることに気付くことができます。これも本書を読んで発見できることです。

   一見突飛な発想でも、こうして実践している人がいるという事実がここにあります。

   前述したような理由から、私は気に入った場所に自分で家を建てて住めれば面白いと密かに考えています。聞いた話だと数百万円で建てられるようですし。その土地に住めなくなったらまた何処かで建てればいい。古民家再生という手もあったりします。それが本書を手に取った理由の一つですが、ここまでいかなくても自分で家を建てるというのは十分実現可能なように思えてきます。当たり前と思っていることにも疑問を持つ、という点でも面白い本なので、一読してみる価値はある本です。






自分起点の英語学習という発想

   随分とご無沙汰してしまいました。

   前回の記事の続きを書こうと思います。今更かよ!という突っ込みは甘んじて受けます。
だいぶ日が経っているので記憶が薄れていますが…。



◆留学指導者の講演

   東進ハイスクール安河内哲也氏に続き、留学指導を手掛けているアゴス・ジャパンという予備校の代表取締役である横山匡氏のお話がありました。



   まずは、何故英語を学ぶのか?という問いかけから。
人によって理由は様々かと思います。学生の頃は卒業、受験のため、社会に出れば仕事で必要、海外の人とコミュニケーションしたい、日本だけでなく世界のニュースを知りたい、など…。

   学生の頃はとかく受け身で後ろ向きな、そして社会に出てからもどこか義務感のような面が残りがちな英語の勉強ですが、横山氏曰く、英語を学ぶのは「好きなところで好きなことができる可能性が少し広がる」から、だそうです。
   これには一理あります。英語を話せれば自分の居場所を日本の外に広げることができます。場所が広がれば、自分の好きなことができるチャンスも広がるでしょう。自分の好きなものを探し、出会い、目指し、近づくという過程を現実のものにするために英語が役に立つという発想です。自分起点の能動的な動機に基づく学習。楽しさや夢がないと人間なかなか物事が続かないものです。

◆日本と海外の違い

   上記に関連して、日本語の「教育」と英語の「education」という言葉について、語源から比較した発想の違いという話題。教育は読んで字の如く、「教え育てる」からきています。対してeducationは「内から引き出す」という意味からきているそうです。まさに日本と海外における教育方針の違いをそのまま指しているかのような違いに、成る程と思わされます。
   さらにこれは定食とビュッフェの関係に例えられます。予め食べるものを決められたおあつらえ向きの定食と、自分で好きなものを選択し組み合わせを作るビュッフェ。こうして身近なもので例えられると分かり易いし興味深いですね。

   そして重要なのは、どちらが良い悪いではなく、それぞれが持っているもの、持っていないものの両方を見るということです。人はとかく自分に無いものを求めて無いものねだりをしてしまいますが、既に持っているものの価値も踏まえたうえで足りないものを埋める、あるいは補うという視点を持ちたいです。でないといつまでも終わらない自分探しの旅に彷徨うことになりそうですので。

グローバル化とは?

   いわゆる「グローバル化」についての考え方も参考になりました。昨今の世の中はグローバル化が声高に叫ばれ、私達はしょっちゅうその見えない圧力に弄ばれがちです。しかしあくまで「私」という人間が世界をどう捉え、対処していくかが問題であり、世界のグローバル化が先に置かれる訳ではありません。従って、「私」の可能性を広げるために自身のグローバル化を先に考えるべきであって、その結果世界がグローバル化するというのが順番でしょう。生き方は他人に強制されるのではなく自分で決めるというのが本質のはずです。意訳するとこんな感じでしたが、これも成る程といったところです。
   根底にあるのはやはり自分起点ということでしょう。海外に行けばこの発想は当たり前のように思われます。

   その他色々話題はありましたが…端折ります。概念的な話が多く、では具体的に何をすればいいの?という感想が聞かれそうですが、そこについてもヒントがありました。それは、「将来なりたい自分を妄想すること」、そして「明日それができないのは何故か?を考えること」です。そうすれば今の自分に足りないものが見えてきて、それを埋めるために何をすればいいのかが見えてくるでしょう。妄想力万歳‼︎
   お話の中で、「The best way to predict your future is to create it.」というかの有名なドラッカー氏の言葉を引用されていましたが、1つの真理でしょう。


   …さて長いことブログ更新をサボってしまいました。理由は沢山挙げられますが、書かなかったという事実に変わりはありません。これからぼちぼち再開していきたいところです。困るのは書かないとすぐ文章力が落ちること。サイヤ人は瀕死の状態から復活すると驚くべきパワーアップを果たしますが、文章力は瀕死になると落ちる一方で、むしろ書き続けないと維持すらされません。サイヤ人のようにはいきませんね。またゼロからのスタートという気持ちでいこうと思います。

   というわけで(?)メリークリスマス!



日本の英語教育が変わる⁉︎ − 2020年に4技能試験へ移行

   先日英語に関するセミナーを聴く機会があったので、その覚え書きです。
 

◆英語カリスマ教師の講演

   登壇者の1人は安河内哲也氏。東進ハイスクールの英語講師で、いわゆるカリスマ講師として有名な方です。
   講演のテーマは「本当に使える英語とは」という切り口です。予備校講師というプロだけあって、お話はライブ感に溢れていました。冒頭から英語に関するクイズを交えるなどして聴き手にも参加を促し巻き込んでいき、ご本人の性格もあるのでしょうが終始テンションが高め。語り口は明快でスクリーンに映し出されるスライドも時事ネタを織り込んだ軟らかい「ここ笑うところ」というのを仕込んでおり、聴き手を飽きさせないプロの仕事を垣間見た思いです。
 
   話の中では日本の英語教育が中高6年かけても英語を話せるようにならない問題点が主として取り上げられました。曰く受験突破という目的と受験業界が英語教育を歪めているという指摘です。これには私も同意するところでこのブログでも過去に言及したことがあります。
 

◆日本の英語教育が、変わる

   そしてそんな日本の英語教育が、これまで「変わる、今度こそ変わる」と狼少年のように何度も言われて変わらなかったのが今度は本当に変わります!というお話に。
 
 その中心になるのが大学入試センター試験に代わる新しい入試において、英語は4技能を総合的に評価できる問題に変わるというものです。既に報道されていますが、センター試験は今後廃止され、2020年度から大学入学希望者学力評価テスト(仮称)が導入される予定で、このタイミングで変更するというものです。名前長い…。(更に、高校までに修得した学習成果を測るために高校2,3年生を対象に2019年度から「高等学校基礎学力テスト(仮称)」を導入する予定です。)
 
 4技能とはあまり馴染みのない言葉ですが、LRSWすなわちListening(聞く)、Reading(読む)、Speaking(話す)、Writing(書く)の4つを指します。これまでの英語教育はReadingとListeningに偏っており、これは入試問題が正誤の判定が容易な読解、文法、リスニング問題に安易に偏重していたことに起因していました。これを打破し、「使える英語」を生徒に身に付けさせるためにメスが入ったということです。
 

◆壊滅はチャンス

 これによって従来の受験英語ビジネスは壊滅することになり、これまでそれを推進する側にいた予備校講師の自分も危ういなどと安河内氏は自虐的に仰っていましたが、「壊滅はチャンス」ということも同時に仰っていました。これまでの体制が崩れ、新しいものに適応できる者が大きく伸びることができるということでしょう。ともあれ日本の英語教育は大きな転換点を迎えるようです。
 
 要点としては、これからの英語教育改革は以下の5つが柱になるとのこと。
 1 偏差値からCEFR
 2 解説から活動へ
 3 LRSWの4技能が中心
 4 多様化
 5 問題文法から使用文法へ
 
 
 4技能という言葉、そして大学入試制度が大きく変わるというのは寡聞にして知らなかったのですが、これが変革を促す特効薬になるのかどうか。旧態依然とした英語教育を受けてきた身として今後に注目しています。
 
 ※安河内氏の英語教育論は以下も参考になると思うので興味のある方はどうぞ。