半可通とは、無知の知とは
今日関東であった地震、久々に大きく揺れたのでびっくりしました。
日本にいる限り地震に対する備えは忘れてはいけませんね・・・。
今朝、出勤しようと家を出る時に腕時計をつけようとしたら、電池が切れて止まっていることに気がつきました。
よって腕時計をしないで出掛けたわけですが、普段時計の存在は意識していないものも、無いと気になったりなんだか手首が寂しい感覚になるものです。
大袈裟ですが、当たり前だと思っているものにも意識を向け、毎日を送れることに感謝したいなという気になりました。
さて、今日はこのブログの名前にもなっている「半可通」という言葉について書こうと思います。
半可通とはネットでたまたま知った言葉ですが、いいかげんな知識しかないのに通人ぶること。また、その人や、そのさまを表す言葉だそうです。
(ちなみに生半可とは「生」+ 「半可」という成り立ちで、「半可」は「半可通」の「通」が略された言葉とのことです。)
日々いろいろなことを見聞きするなかで、当たり前ですが自分の持っている知識・経験より世の中知らないことの方が圧倒的に多いと感じます。
また自分が知っている事柄も、物事は常に変化し情報は更新されていくものなので、たとえ専門分野や得意分野であっても勉強し続けなければいけないことに変わりはないわけです。
それを踏まえ、世の中のことをもっと知りたい、また自分はこれまで様々なことを知ってきたつもりだけど、人より長じている分野でも半可通の素人に陥る可能性は常にあると認識し、いろいろ勉強していきたいという謙虚さを忘れないように。
という自戒の気持ちを込めてブログのタイトルにした次第です。
ちなみに関連した?言葉に「無知の知」という言葉があります。
”俺は、自分を賢いと思っている人や、世間が「あの人は賢い」と評している人々を訪ねて会話をしてみたんだけど、どうもそういう人たちは、よく知りもしないことについても知っていると思い込んでいるだけだったなあ。少なくとも、自分は、そういう思い込みはしていない”
と言ったにすぎないそうです。
ソクラテスの無知の知は矛盾していませんか? - 哲学 - 教えて!goo
つまり後の人が勝手に「無知の知」という表現を作っただけだそうです。
気になる人は「ソクラテスの弁明」を読んでみてください。
(私はまだ読んでいません。)
また一つ勉強になりました。