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半可通素人

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすブログ。

深い、深い映画、心に染みいる物語:「かいじゅうたちのいるところ」を観た

 記憶が薄れないうちに書きます。

 
 先日、「かいじゅうたちのいるところ(原題 Where the Wild Things Are)」を観ました。 
かいじゅうたちのいるところ [DVD]

かいじゅうたちのいるところ [DVD]

 

 

 名前は知っていましたが、かわいい癒し系ほのぼの映画かなと思って特に気にしていなかった作品。
たまたま観たのですが、これ、すっごくいい映画です。オススメです。イメージと全然違って哲学的。
 

 粗筋は公式サイトをご覧ください。


かいじゅうたちのいるところ

 
 敢えて曖昧さを残してシンプルに作ることで、様々な解釈が出来るようになっています。
 
※以下、ネタばれ有り。知りたくない方は飛ばして下さい。
 
 主人公のマックスがかいじゅう達を見つける冒頭のシーンでは、マックスの視点からのカットが途中に挟まれ、それが物語に引き込まれる要素になっています。
 
 私が思うに、マックスが出会うかいじゅうの中心として描かれるキャロルと、メスの知恵のあるかいじゅうであるKWは、マックスと姉を象徴しています。
途中、「君達にママがいるといいね」というセリフがあることもそれを示唆しています。
2人(匹?)を見てマックスは自分にはママがいるんだ、と気付き、現実世界に戻ろうと決意します。
 
 そしてキャロルはマックスの子供の心です。
母や姉に苛立ち、家の中で暴れるマックスと上手くいかないと暴れてしまうキャロル。マックスがかいじゅう達を見つけるシーンでキャロルが家を壊しているのは、みんなで仲良く一緒に住みたいから他のかいじゅうが個別に住んでいる家を壊して回っているのです。
キャロルは洞窟の中に自分の理想郷のミニチュアを作り、マックスは自分の部屋に隠れ家を作ります。これも2人の共通点。
マックスが現れたことでキャロルは彼を王様とみなし、うまくいっていない自分達の世界を変えてくれる救世主だと思い込みます。そうすることで、どうしようもない現実からの救済を求めているのです。
 
 劇中にみんなで踊ったり、走り回ったり、投げたり吹っ飛んだり大きい動きをしているのは、これも子供の時期を表しています。
考え込むことなく、動く。それが楽しい。私達大人が忘れてしまった生きることの喜び、楽しさを改めて示しています。
 
 途中でマックスの提案で行われる泥団子合戦。
これは、戦争の隠喩です。ゲームの最中は楽しいものの、終わってみると敵も味方も不幸せになってしまう。
さらに冒頭の雪合戦でマックスが負かされ、姉の友人達が彼の元を去って行く時1人だけ彼を気にしているシーンも、この泥団子の結末に重ねられています。雪が降っていることもそれを示しています。
 
 かいじゅう達はマックスの心の中のいろいろな感情の象徴であり、同時にこの人間社会の反映でもあります。また先程も述べましたがキャロルとKWはマックスと姉の象徴でもあります。
それぞれ姿形が違い、性格が違い、考え方が違う。それは1人の人間に内在すると同時に世界のありようを映し出しています。
そしてかいじゅう達の社会はうまくいっておらず、現実の世界そのものです。
「家族ってむずかしい」というKWの言葉に、この作品の全てが込められていると言えるでしょう。
 
 最後にマックスが家に帰りつき、母親の元に戻るシーン。ここにセリフはありません。言葉など要らないのです。
 
これらが重ね合わせて表現されている…シンプルなのに複雑、すごい作品です。
 
※以上、ネタばれ終了
 
 
 まだまだ感想は書けますが・・・。
 いろんな人が観て、その感想を聞いてみたい超名作映画です。
子供が見たら、どんな感想を持つんだろう?
原作は10分程度で読める絵本だそうです。なんと1963年出版!!
 
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