大人になる、とはどういうことか
身体は大人、頭は…。
友人のブログ記事→ 本来無一物: 【155】誠実であるために に刺激され、「大人になるとは」について考えました。
“僕は小さいころからかっこいいおっさんになりたいと思っていました。
その成分は誠実・素直・真摯などの言葉で表されます。
人のせいにしたり、批難ばかりで改善点を出さなかったり、するのは何か違うんです。”
ふと振り返ると、小さい頃自分が思っていた大人と、大人になった今の自分はどうやら違うということに気が付きます。
思えばまだ小さかった小学1年生当時も、6年生なんて随分お兄さんお姉さんに見えたものです。しかし6年生になった頃は1年生時に思っていた6年生像と比べて自分はどうか、なんてこれっぽっちも考えませんでした。
まだ外から見た自分、というのを明確に意識していなかった(自我が確立されていなかった)のかな、と思います。
かたや今は内なる自分、他者から見た自分について、相対的に考えることができます。これだけでも少しは成長したかなと実感します。
私も「格好良い大人」になりたいと考えています。よく電車や街中で見かけるだらしないおじさん、かっこ悪いおじさんにだけはなりたくない、と思っていました。
現実の自分と照らしてみると・・・。どうでしょうか。
現実の自分と照らしてみると・・・。どうでしょうか。
Twitterにも似たようなことを考えていたりする方々の呟きを見かけます。
自分が大人の年齢になった時、子供の頃に思ってた大人のイメージよりもずっと、大人が大人じゃなかったことに気づき愕然とした。最近どうも、日本という国は実は先進国じゃなかったと思わされることが多くがっかりする。
— 山澤健一 (@singstyro) 2014, 9月 21
日本で「大人になれ」というのは、大人しくし、逆らわず、文句を言わず、悪いことにも目をつぶり、悪人に好き放題させ、ズバリ指摘せず、感情を表に出さず、人権侵害も笑顔で許し、搾取されてもゴマをすり、お偉いさんをおだてて、悪政を批判しない、ということ。こりゃうつ病にもなる
— アトムンク AtoMunch (@AtoMunch) 2014, 9月 7
そして無自覚なまま大人になるとこうなるのか…。
団塊世代の人がよく言う「昔の日本は本当に良かった」「今の日本は俺らが作りあげた」「今の日本は全然駄目だ」をあわせると「今の日本を駄目にしたのは俺たちだ」になりますよね。
— マスミ (@galajahr) 2014, 9月 25
私の理想の1つは、その辺の生演奏スタイルの酒場とかでドラムを叩いている小粋なおじさんです。
↓こんなおじさんもいいですね。
「大人になる」とはどういうことですか。 — 初めて降りた駅前で「小料理」とか「割烹」とか書いてある店に一見で飛び込めることです。 http://t.co/mFgsSePz4Y
— dada (@yuuraku) 2014, 10月 13
大人への道は遠い…。