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半可通素人

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすブログ。

まずは雑巾掛け、皿洗いから。:量質転化で自分を変えられる

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 まずは質より量をとれ。
「量質転化」について書きます。
聞き慣れない言葉かもしれませんが、量質転化とは哲学の弁証法における法則の1つです。
 
 ちなみに物理学の世界では「相転移」とも呼ばれます。

 

 量質転化については、以下の説明が分かりやすいです。

“ある薬品――モルヒネとかコカインのようなものを考えてください――の量が人体に及ぼす影響を調べてみると、薬品そのものの量的変化はそれ自体としては何の質的な変化もなく、人体との媒介関係において質的な規定を受けとります。ある量までは無効です。それ以上になると薬として作用し、薬の限界を越えると中毒量となり、さらに多くなると致死量となってしまいます。”

弁証法はどういう科学か」 p.210-211より引用

Amazon.co.jp: 弁証法はどういう科学か (講談社現代新書): 三浦 つとむ: 本

 

 私達の生活においても、量をこなしていくと、ある時それが質に転化して意図せずとも出来るようになる、ということがあります。

例えば空手では、入門者は徹底して「突き」の練習を繰り返します。早く組み手をして格好良く技を繰り出したいと思いがちですが、突きの際の身体の使い方や突きの方向、速さなどの基本を徹底的に繰り返します。
こうして突き練習の量を積み重ねることで、いつしか意識せずとも身体が勝手に突きを出すようになります(身体が覚えるという状態)。これを技化(わざか)といいますが、量質転化の例の1つです。
小学生の時に家で九九の掛け算を暗誦する宿題を出された方も多いと思いますが、これも繰り返すうちに自然と九九が口をついて出るようになりますね。
 
 さらに空手など武道の鍛錬では、まず入門者は技がどうこうのの前に道場の雑巾掛けからやらされる所もあるようです。雑巾掛けを繰り返すことで、空手の技を繰り出せるように足腰が鍛えられて質が変化すると同時に、認識面でも空手に対する姿勢を作っていくのです。料理人になりたくて弟子入りした人が皿洗いから始まるのも、立ち仕事に必要な身体と料理人に必要な認識を作るという同じ側面があります。
 

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 今では身体に悪いという理由で禁止されていますが、うさぎ跳びも根性を鍛えるという側面で量質転化の性質を持っています。
 
 このように、一見無意味で遠回りのように思えることも、志を抱いて行えば質を変化させて自分の成長に資することができます
ここに私は教育の大事さを見出します。
乳幼児、子供は何も知りません。そこで経験のある大人がある程度型にはめて決まりや知識を教え、量をこなさせることで子供に定着させていくという過程がどうしても必要です。
そのような基礎ができた上で個性や才能など個人の特質を伸ばしていくべきなのです。
 
 そうした意味では昨今の個性を尊重する教育は害悪となります。まずは社会性を持った人間としての土台を培った上で個性を大事にしてあげるべきです。
 
 私は、戦前の徴兵制が持つ教育的側面は現代にも必要ではないかと考えています。兵として動けるための身体訓練と統率された集団行動を叩き込むことで身体を作り、認識を鍛える。
戦前の日本人の顔つきは凛々しく、当時の人が書いた文章に触れるとその優れた認識に襟が正される思いがします。
もちろん戦争を美化するつもりは毛頭ありません。戦争は絶対反対です。殺人は罪になるのに、人を殺すほど英雄になる戦争など最も愚かなことです。
 
 少々話が過激になりましたが、家族についても同じことが言えます。子供とは血が繋がっていますが、夫婦は元々他人です。他人が家族になるには、共に過ごす時間と感情の共有を積み重ね、それが家族としての絆に転化していく過程があります。
 
 福山雅治氏も歌っていますね。
 
 
 人生に無駄はない。遠回りでも質に転化することを信じて志を抱くことが重要です。
 

 

 

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