半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

黒子のバスケ脅迫犯はあなたのすぐそばにいる (2/2)

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◆昨日は踏み込み不足でした

 昨日の記事(黒子のバスケ脅迫犯はあなたのすぐそばにいる (1/2) - 半可通素人)で肝心なところの踏み込みが甘かったので、追記します。

 
 渡邊被告の書いた意見陳述がなぜ「典型的な受験秀才の書く文章」なのか?
その理由として「像」が浮かんでこない、と私は述べました。
 

黒子のバスケ脅迫犯はあなたのすぐそばにいる (1/2) - 半可通素人

 

◆日本における受験偏重教育の弊害

 日本の教育は詰め込み型で、いかに知識を記憶し、答案の空欄を埋めるかが求められます。情報としての知識、正答力を磨くことに血道をあげ、感情や認識を育てることが置き去りになっています。
 
 この日本人の勤勉さのお陰で戦後の奇跡の高度経済成長を成し遂げたため、一概に悪い点ばかりをあげつらう訳にはいきません。しかし、昨今の社会情勢を見るに、戦後教育は日本人が人として大事なものを失ってきた元凶でもあるのです。
日本は戦後高度経済成長時代に成功した社会制度の幻想に取り憑かれ、そうした制度運用を未だに引きずっています。そのことにより現社会を構成する人々の意識や社会構造、人口構造などと制度の間に様々な齟齬が生じているのが現在の諸問題の根にあります。ここを変えずに目先の対症療法のみに終始している政治屋や官僚の方々と共に、私たちも考え方やり方を変えていかないともはや立ち行きません。
この辺りについてはしっきー(id:skky17)氏が非常に詳しくかつ鋭く書いていらっしゃいます。


「学校」と「企業」が成功しすぎた日本 - しっきーのブログ

 

◆渡邊被告はだれでもなりうる存在であるという怖さ

 少々話が逸れましたが、渡邊被告の文章は詰め込み型受験教育の集大成とも言うべきものです。これは自己正当化のための文字情報の羅列です。語るに落ちた、というやつです。彼の文章には感情や認識といったものが欠落しており、それゆえ読む者に像を結ばせないのです。
 
 分析力や文章構成力を見る限り、大変頭の良い人物なのでしょう。
しかし育てた親、学校の友達、教師に恵まれなかった。どこにも救いが無かった。親への恨み、自己の否定、社会への反発を積み重ねていき、それが量質転化(過去記事:まずは雑巾掛け、皿洗いから。:量質転化で自分を変えられる - 半可通素人 ご参照)を起こし渡邊被告という人物を創ったのです。
私たちは創り創られて人間になるのです。周囲との関係性、自己を高める努力なしに生きていくことはできません。
いかに才能と能力に秀でていても、環境によってこうも人は道を踏み外すのか、という点でゾッとする事件です。これは状況次第で誰にでも起こりうる顛末なのです…。