半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

神様は信じるけど宗教は信じません

◆宗教について考える

 哲学、心理学、禅などについて記事を書いたりしてきましたが、これらの根底を探っていくと心の問題に行き着きます。哲学、心理学、宗教などは心について現れるよしなにを語ったものにすぎません。

 

あなたの立ち位置は何処ですか?:哲学、心理学、禅の違いについて - 半可通素人

 

 宗教について私が現在考えていること。

日本では宗教を語ることが何か禁忌のような風潮がありますが、心の問題を考えていると宗教は避けて通れません。

 

 宗教、つまり神を信じるかについて、私は「神は個人の救済にとって有用であるが、宗教として集団化し教えを他人に強いることは害悪の側面が大きい」と思っています。

神が実在するかは分かりません。超自然的な存在を感じることもありますし、ただ人間の心ないしは認識が描き出した抽象にすぎないと断じることもできます。

神の存在とはそのような至極曖昧なものですが、人が世の中の辛いこと、理不尽なことに対して安らぎを求める心が神、宗教を生み出した背景にあると理解しています。

そうした意味で個人が神を信じることには何も異存はありません。

 

 ◆神 ≠ 宗教、でしょ

 しかし、神が信仰の対象として宗教化した場合、様々な要素が付加されます。

宗教としては確たる教えがないと宗教たりえません。そこには異なる意見を受け入れる寛容さが無くなり、異端を排除する論理が働きます。宗教が戦争を起こし、日本においては廃仏毀釈など悲惨な出来事を引き起こしたのは歴史が教えている通りです。

「神は万物に宿る」と考える日本の宗教観と、「神は唯一絶対の存在である」とするキリスト、イスラム宗教観は決して相容れることはありません。

 

 また宗教として集団化することで、必ず権力の一極集中と利権構造が生じます。教祖、宣教者、法王、預言者、尊師や司祭など呼び方は様々ありますが、平等に人を救済するはずの宗教にも関わらず偉い人、そうでない人に分かれていきます。

階層構造を持つことは社会における組織の在り方として自明のことですが、宗教として巨大化していくほどに原理からは逸脱していきます。これは矛盾です。

そして人あるところに金あり、ということで上層部そして外部に対する金の流れができていき、利権が発生します。坊主丸儲け。私は自分が死んだ後に戒名をつけてもらう必要はないので、お断りです。

 

 心の問題なので、人の業というものが顕著に現れてしまいますね。

 

◆もちろん悪いことばかりじゃない

 こうして宗教の負の側面についてあげつらってきましたが、宗教が集団力を強力に補助し、文化を育ててきた側面を否定することはできません。

日本の神社仏閣、欧州の教会建築、イスラム圏のモスク、タイの王宮、寺院、ヒンドゥー教の寺院など、枚挙にいとまがありません。人類の精神を涵養してきた歴史もあります。

ものごとは玉石混交、表裏一体、陰陽思想、清濁併せ飲むことですので、バランスが重要です。

 

◆各論も少し

 大きな事柄について書いてきましたが、宗教に関する個別の事項で気になっていることについても一部書いておきます。

 

  • 政教分離 : 学校で習うアレです。一言でいうと、公明党の存在について。何故学校で習う基本的な原則が守られていないのでしょうか?論理的整合性はどのように説明されているのでしょうか?また、表立ってはいませんが日本の政治には非常に多くの宗教が入り込んでいます。前述した宗教の利権構造化の最たるものと言ってもいいでしょう。例えばキリスト教系の統〇教会。真偽のほどは定かではありませんが、興味がある方は「サワヤカな安〇晋三」で検索してみてください。トンデモと捉えてしまえば、それまでですが。(追記:コメントにて、「日本国憲法政教分離は宗教に国家が介入する事を禁ずるものであって宗教が政治活動を行う事を禁ずるものではない」というご指摘をいただきました。調べてみると、国家が宗教団体に政治上の権力を行使させてはならない、ということは、宗教団体を政治参加させてはならないという意味ではないとする、というのが学界での通説のようです。しかし日本国憲法には「政教分離」の文言がないため解釈の問題になり、宗教団体の「政治的権力」行使の禁止ということに関して諸説ある状態です(Wikipedia政教分離の原則 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2%E5%8E%9F%E5%89%87#.E5.AE.97.E6.95.99.E5.9B.A3.E4.BD.93.E3.81.AE.E6.94.BF.E6.B2.BB.E5.8F.82.E5.8A.A0.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6 より)。断定的に宗教団体の政治参加を否定しましたが、現状はそのような状況ということなので追記して訂正します。)

 

  • 日本の寺に関する問題 : 寺は村における人身売買の仲介所の役割を果たしていました。「青春」という言葉は、今では人生において若さの咲き誇る最高の時期のような意味合いで使われますが…

    青春
     現代では良い言葉だが、幕末までは、お寺の隠語で「見頃食べ頃」の少年少女を、
    人買いが雪どけを待って訪れてきた時に渡すため寺人別帳に記入していた符牒
    ” 

     

    碧い世界 青春とねぷた より引用

     

    上記は八切止夫氏(八切止夫 - Wikipedia)という日本では異端とされている歴史小説家の説です。また引用元のページには、青森で有名な「ねぷた」の恐ろしい由来についても書かれています。八切止夫氏については興味深いので著作を読んでみたいと思っています。

 

◆なんだかんだ書きましたが

 宗教に関することは敏感な部分も多いです。よって特定秘密保護法が施行されて秘密指定される前に書きました(笑)

 

 以上に述べたことから、やはり私は「神は個人の救済にとって有用であるが、宗教として集団化し教えを他人に強いることは害悪の側面が大きい」と考え、「神様は信じるけど宗教は信じない」のです。

 

 

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