半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

DQN再生産システムと孫子の兵法を認識すること

 あなたは大学に入ってその放置スタイルっぷりに戸惑った経験はありませんか?
 
 以前教育について言及したので(過去記事:まずは雑巾掛け、皿洗いから。:量質転化で自分を変えられる - 半可通素人 )、もう少し思うところを書きます。
 

◆日本の教育システムが増産するDQN

 日本における高校までの教育と大学教育の間には、大きな断絶があります
 
 高校までの受験を突破するための知識詰め込み型教育から一転、大学では「自分の頭で考えましょう」と突然自由と裁量を与えられることとなります。日本の大学は、入学するのは難しいですが卒業するのは簡単な仕組みになっています。そこで自由と裁量を与えられた学生の大半は、勉強以外のサークルやアルバイト、自堕落な生活に己の時間を消費し、生きていくために必要な教養や考える能力、自立する力を身に着けることなく社会に放り出されます。
 これは精神的に未熟な大人や構ってちゃん、敢えて昨今の言葉で言うとDQNやマイルドヤンキーが創られる一因となっています。そもそも彼らは高校までの教育の時点で落ちこぼれて大学なんか行かないよ、また格差社会の構造に絡めとられてしまい、教育にかかるお金が工面できなくて仕方がなく大学に行けない、という話もありますが、ここではいっしょくたにして考えます。そして現在の制度が続く限り、教育はそうした人間を再生産し続けます。社会システムから外れる層は一定数いるのが通常ですが、ものごとには適正な割合というものがあります。
 

 ◆教育はとっくに制度疲労を起こしている

 このことは、社会の弱体化につながる害悪です。直視したくないので普段は目を背けていますが、現社会における諸問題の根底にはこうした構造が横たわっているのです。教育は国家百年の計、とはよく言ったものです。
高度経済成長時代はこの仕組みが横並びの勤勉な労働力の生産におおいに貢献しました。しかし社会構造が変化した現代においてはもはや制度疲労に陥った古びた仕組みであり、弊害が表面化しています。
 
 私はかつて、大学は「この問題を解決するには誰に聞けばいいか」という人をどれだけ沢山知ることができるかに尽きる、という言葉を聞きましたが、これは至言です。
 昨今スーパーグローバル大学やらグローバル型、ローカル型大学だか知りませんが、制度や形式だけ欧米の模倣をしても肝心の中身が抜けており、初等教育からの過程で捉えなければまともな教育などできようもありません
日本の政治屋や官僚様にはこの辺を強く自覚願いたいのですが、どうも目先の利益や表面上の体裁をいじることに終始しています。ゆくゆくはブーメランになって自分に返ってくるのに。
 

◆モンペと分断、から孫子の兵法まで

 教育の問題は家庭、特に母親に押し付けられ、家庭は学校に教育の責任を押し付けモンスターペアレンツに豹変します。お互いが不平不満をぶつけ合うだけでは分断するだけであり、教育の成果が社会に還元されません。
 もちろん私達にも責任はあるので、今からでも行動を起こし変化を生じさせなければなりません。
この国の子供達と未来のために。
 
 今のシステムは民草の練度が向上せず、盲目的な働きアリを量産し続けています。これは統治者層にとって都合が良い状況です。従って現状を積極的に変えようという動きは簡単には出てきません。
何を突飛なことを、と思われるかもしれませんが、太古の昔から孫子の兵法に「兵は詭道なり」と書かれている通り、信じられませんが現実に起こっていることと認識した方が現実に対処する能力は高まります。
 私達はもっと賢くならなければ、ただでさえ世知辛いこの世の中がさらに世知辛くなるだけです。周囲が変わるのを期待するより、自分が変わる方が手っ取り早いし効果的です
 「水は低きに流れる。人もまた、低きに流れる。」まずこれを自覚することだけでも違った景色が見えてくるでしょう。