半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

このままだと人間はただの葦である、になっちゃうよ

 いよいよ特定秘密保護法の施行が2日後に迫ってきました。
 今日は、何故この頃こんなにこの法律についてしつこく書いているか、ということについて触れます。
 

◆この法律が私達から何を奪うか

 「人間は考える葦である」というパスカルの有名な言葉があります。

 この言葉の解釈は様々可能ですが、私は「『考える』という行為が人間を人間たらしめているのであって、考えることをしなければ人間もその辺の葦と同じ存在である。」ということだと考えています。
 
 特定秘密保護法は、人間からこの「考える」という行為を取り上げ、葦と同じ存在へ追いやる悪法の第一歩です。かつての悪名高い治安維持法と何も変わりません。むしろ一見そうと思わせない分、たちが悪いです。
 日本人なら、治安維持法に代表される戦時体制が日本の方向を誤らせ多大な犠牲を強いられた大きな反省点だと皆学校で習うことなのに、また同じことを繰り返しているのです。何故同じ愚をまた犯すのでしょうか?
 これでは、猿と一緒です。おさるからモンキッキーに改名した程度の違いです。そしてこの猿山のルールは、ボス猿とその取り巻きが勝手に決めたものであり、一般猿の意見要望は無視しているにも関わらず、一般猿の暮らしにおおいに影響を及ぼします。
 
 これは政治だけの責任ではなく、それを許している私達にももちろん責任があります。このままで、これから生きていく次の世代に胸を張ってこの社会をバトンタッチしていけるのでしょうか?
 

◆運用も期待できない現状

 法律を厳格に運用すれば問題ない、という意見もあるでしょう。それは確かにそうです。また国家運営を考えれば特定秘密は保護されて然るべきでしょう。しかし政権の現状を見るに、この法の厳格な運用などは到底期待出来ない、ということに問題があります。そんな気持ちを生じさせる政治など求めていません。
 先日安倍首相がテレビ番組に出演した際に、特定秘密保護法で一般の人を取り締まることは決してないと発言しましたが、その言葉を信じた人は一体どれだけいるのでしょうか。
 理想論と言われればそれまでです。否定的に過ぎると言われればそうでしょう。しかし、理想を頭上の高みに抱いてそこを目指さない限り、発展は望めません。
 

 そしてここにきてこんなニュース。


海外経験は漏えいリスク 秘密保護法で内調 - 47NEWS(よんななニュース)

 
 このタイミングでのニュースというのも微妙ではありますが。
 こんなことを言っていてスーパーグローバル大学がどうとかやっている訳です。もはや身体を張ったギャグでしょうか。きっとそうに違いありません。上島竜兵師匠もビックリです。
 

 ◆考えない葦はもうやめよう

 この法に反対する理由を明確に挙げているブログがあります。この記事を書く際にも大いに参考になりました。
 
“民主政治においては、起こりうる悪しき事態に共同で立ち向かわなければならない。そういう覚悟がなければならない。そしてそれを担保する、そうした覚悟を持てる理由はひとつである。

 自分の頭でものを考えている間は、我々は決めごとを受け止める覚悟を持てる。

 そしてそこからもう一歩理屈を進めてみるとこうなる。自分の頭でものを考え続けるためには、それに意味があると確信するためには、考えるための材料が世界に開かれていなければならない。ものを考えるための「言葉」、「出来事の有様」、「人の考え」、「冷徹な事実」、「不都合や失望を生む事実」が、我々に開かれていなければならない。のべつ開いては、我々の共同社会に危険や不幸をもたらす場合でも、「これは開かない」という決めごとをみんなで相談しながら進めるルールがなければならない。そして、それすらも間違えることを予想して、損得に左右されない第三者が判断できるようなやり方が用意されていなければならない。

 こういうことが用意されていないと、我々は自分の頭でものを考えるための大切な条件を手にすることができず、自分の頭ではなく、人の言いなりとなってものを考える可能性が高まり、己の自信の無さがつのることで、だんだんと縮こまった心を持つようになる。そして、やがて自分たちのした決定に信頼を置くことができなくなる。当然自分たちの決めごとに対する「覚悟」を失う。”

http://okadakenji.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html

 
 いくらああだこうだ言っても行動に繋がらないと意味がないので、今度の選挙が良い機会です。皆で意思を示しましょう。
 メディアは自民党の優勢を喧伝していますが、決して乗せられてはいけません。何故まだ結果の出ていない選挙のことがメディアに分かるのでしょうか。これは投票しても結局は自民党が勝つと思わせて、無党派層の棄権を誘導するプロパガンダの可能性があります。棄権は現政権に有利に働くだけです。
 
 私達は物言わぬ猿山の猿であり、考えない葦であると見なされ、舐められています。いい加減ハッキリと物申す時です。この場合、沈黙は金、ではありません。
 
 そしてこれをきっかけに、ゆくゆくはこの悪法を社会から排除していきましょう。そこまでしないと社会の一翼を担う大人の責任は果たせません。