半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

数字を信じるだけでは狂信者と踊るだけです

 突然ですが、時には世の常識を疑ってみましょう。
 

◆お金の価値は幻想

 みんな大好きお金について。
 世の中、お金が全てのように回っています。実際にお金がないと人は生活ができません。しかしこのお金、その価値は揺るぎがないことのように普段は考えていますが、実はそれは幻想です
 私達は「貨幣の価値は信用に基づく」と学校で習いました。つまり私達がそこに絶対の価値があるように思い込んでいるだけで、実はお金の価値には何の物的根拠もありません。これが基本です。
 これを習った当時は、そんなものかと何だか狐につままれたような気持ちになりました。
 
 お金は私達が生まれた時から存在し、当たり前のものとして扱われているのでほとんどの人はそのことに疑問を感じません。しかし歴史を振り返ると、もちろん最初からお金を使っていたわけではありません。そのことを忘れてはいないでしょうか?
 

◆お金が生まれた歴史

 始め、人類は狩猟採集によって生活の糧を入手していました。
 ですがそれでは入手できる物に限りがあるため、やがて物々交換によって己の持ち物や食糧などを他の物と交換するようになったと言われています。
 
 しかし、食糧など長期保存がきかない物は物々交換できる期間が限られています。これでは必ずしも欲しいと思った物が欲しい時に手に入りません。
 
 そこで、誰かが物をお金(貨幣)に一度交換して融通することを考え出しました。こうすると、一度貨幣という形を通すことで、所有できる物の範囲が一気に広がります。
 
 更に誰かが、実際に貨幣を持っていなくても、貨幣があるものとして貸出を行うことを考え出しました。これにより、実体の貨幣から名目の貨幣へと発展し、膨らんでいきます。加えて、貨幣を貸し出す人は金利を付けることで、そこから収入を得る仕組みも考案しました。
 
 ここに歴史は金融業の誕生と、それを行う銀行(金融業者)の肥大化を迎えます。
 全くもって持てる者にとって良くできた仕組みです。
 
 そして歴史が進むとともに、金融は交易によりその範囲を拡大し、金融業者は財閥として強大な力を持つに至ります。
 その結果、強大な力は膨れ上がり、戦争という悲惨な行為へと突入していきました。
 

◆手段が目的化してしまった

 ざっくりとお金の歴史を振り返りました。
お金が集まるところには権力が集まります。人は権力を持つとその誘惑に勝てず、容易に過ちを冒します。
 

 残酷だけどこの世で起きていること:うさぎ!を読んで知ろう - 半可通素人で触れましたが、「灰色」はひたすらお金を増やすことが目的です。そのためには人の命など何とも思いません。もうお分かりかと思いますが、灰色とはお金の支配者となった財閥を始めとする特権層のことを指します。

 
 生活の手段として生み出されたお金が至上のものとして追い求められ、罪のない人々の生活が歪められていく。

 手段が目的化した究極の例と言えます。

 
 

◆そして狂信者に踊らされる

 何巻かは忘れてしまいましたが、北斗の拳の「狂信者たち」という回を読むと、お金を盲信する灰色が如何に狂った存在であり、この世に害をなすかがよく分かります。
 
 昨今の日本社会を見回してみると、かつて「1億総中流」と言われた中間層はその姿を消しつつあり、富める者と持たざる者とに分かれていっています。
 これが意味するのは社会の後退であり断絶であり、「豊かな国」の幻想を追い続けた成れの果てが、気付いてみたら庶民の目の前に広がるのは荒れ野原だった、という未来です。
 そんなもの一部の富裕特権層以外誰も望みません。平等などという言葉もまた幻想に過ぎませんが、いくらなんでも偏りが過ぎます。
 
 銀行が数字上所有しているとするお金は膨れ上がり、実際に金庫にある現金の額を遥かに超えています。実態に即していないのです。よって金融不安が広がり皆が銀行へ預金を下ろしに殺到すると、銀行は現金が用意できずに破たんします。
 また、紙幣を発行しているのはご存知日本銀行ですが、日本銀行は一種の民間企業です。この民間企業が発行する日本銀行券を紙幣として私達は使っているのです(日本銀行 - Wikipedia)。そして日銀の株は55%を政府が保有し、45%は株主非公開となっています。
 
 お金に、そして狂信者達に踊らされる私達はどこに向かっているのか?
 

◆お金は最大にして最悪の発明

 以上のことを考えてみると、お金は人間の最大にして最悪の発明と言えます。
 
 この世の中は消費が美徳とされ私達にお金を使うよう促す情報で溢れかえっています。 それで世間が回っているのも事実ですが、過度に追求するあまり綻びが目立っている現状があります。もう踊らされるのはやめにしませんか?
 
 お金というものを今一度見直してみると、知らず知らず自分を縛っているものから解放される手助けになります。
 

◆これからの可能性について

 うんざりするようなことを書いてきましたが、これからのことについて考えていかないと気分も滅入る一方です。
 
 今後世の中がどう進んでいくのかについて、「評価経済」という1つの概念が示されています。もしくは中央銀行ではなく、政府が紙幣を発行する「政府紙幣」の導入という選択肢も言われています。
 
 評価経済については、詳しくは岡田斗司夫氏の著作に書いてあります。

 

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

 

 

 あるいはしっきー氏のブログ記事に読み易くかつ詳しく記述されているので、興味がある方は読んでみてください。


『評価経済社会』というすごすぎる発想 - しっきーのブログ

 
 素人考えですが、ドラッカーの思想に通じる部分があるように感じます。「あなたは何者か?強みは何か?」「何をもって貢献するのか?」といった部分で、それが金銭的な優位性ではなく人間性で評価されるといった趣きです。
 
 
 
 
最後に、この記事を書いた12月10日という日についてのおまけ。