街場の就職活動論 ‐ 武器が無いなら作ればいい(その7:完結)
街場の就職活動論 ‐ 武器が無いなら作ればいい(その6) - 半可通素人
の続きです。
ようやく完結まで辿り着きます。
◆就職活動は手段であって目的ではない
ここまで、就職活動に臨む際の姿勢や方法論について長々と述べてきました。これらを参考にしていただけると嬉しい限りですが、大前提として踏まえておくべき点について、ここで敢えて書いておきます。
それは、「就職活動は、あくまで長い人生においてその後の大きな割合を占める職に就くための手段であって、活動そのものが目的ではない」ということです。
言われてみれば至極当たり前のことですが、人は往々にして目の前のことに集中すると大きな視点から目が逸れてしまうので、しつこい位に自分に言い聞かせるべきことです。かく言う私も、内々定が決まるまでは他のことをなるべく遮断して一目散に駆け回っていました。
前の項でも触れましたが、長い人生です。就職活動はこれから長いこと時間と労力を割くことになる職を決めるための通過点に過ぎません。過ぎたるは及ばざるが如し、過度に恐れて不安になったり焦ったりしても良いことはありません。
しかし一方で、学生時代よりよほど長い期間を働くことになるのですから、真剣に自分の人生について考え、やりがいや誇りを持てる職選びに全力を投入すべき時期でもあります。
後悔のない就職活動を目指してください。
なお、「手段が目的化していないかどうか」はこれに限らず、常に意識しておきたい鍵となる言葉です。
◆できることを広げていき、やりたいことに手を出していく
めでたく職に就いた後の話も、少ししておきます。
何はともあれ無事に職にありつき、さあ仕事だとなりますが、当然ながら初めからやりたいことをはいどうぞ、とさせてもらえる訳ではありません。
私が就職活動をしていた時、とある企業の説明会で社員の方が「最初の仕事はクジ引きだ。だからどんな仕事でもまず引き受けることが大事。」と仰っていました。これを聞いて私は、ああ真理だなと思ったものです。
新人の頃は実力も経験も無く、何より何をどれ程任せたらいいかが周りに見えていません。そんな状態で「これがやりたい」と声を上げても、いまいち信用できないし説得力も伴いません。
社会に出るとこの「信用」というものが大きな影響力を発揮することになります。「この人になら任せられる」、「こいつならやってくれるだろう」という無言のメッセージを受け取れることがその人の武器になります。
そのために、丸腰の新人はクジ引きで自分に降りてきた仕事に全力で取り組み、「これならできる」ということを増やしていく必要があります。できることが増えてくると「こいつはこれができる」と周りに認められ、それが積み重なって信用という武器が作られてくるのです。そうなって初めて、「これがやりたい」ということに対して「じゃあやってみるか」という段階に辿り着けます。
この「できることを広げていく」という過程は、勉強や部活など既にこれまでの人生において他のことで経験済みであり、就職活動中にも経験することになります。それを仕事にも応用すればいいだけなので、恐るるに足らず。目標を持ち、地道に進んでいけば新たな道が見えてきます。
人間未経験のことは恐いものですが、経験が無いことは既に経験済みのことから予測するか、他人の経験から指針を得るしかほとんど術はありません。しかしそれもあてになる訳ではなく、逆に経験などはその時の状況で起こった特異な出来事に過ぎず、あてにならないという見方も成り立ちます。結局は藪の中を自ら進んで行くことでしか、成功の果実は得られないのです。
◆働くとは傍(はた)を楽(らく)にすること
ここまで、就職活動についての私の考えを書いてきました。人生のその後を左右する大事な局面ではありますが、気負わず臨機応変に、ですが貪欲に同時に謙虚に取り組むことが大事です。
つまるところ、就職活動とは「働くことに対する覚悟」を自分の中に作っていくことかもしれません。
働く、ということは生きていくために当然必要な行為で、そこには何処か義務感がついて回るような印象があります。しかし、「はたらく→傍(はた)を楽(らく)にする」と考えると、自分が働くことで他人を助け、他人が働くことで自分が助かるという、社会として当たり前の有り様がそこに込められていることに気が付きます。
傍を楽にする入り口となる就職活動に幸あれ、ということで。
まあ率直に言うと、働くって理不尽な上司に無茶振りするお客さん、面倒な事務仕事に半端ではないプレッシャーにさらされたりとそれはもう魑魅魍魎の世界だけどね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
…いや、良いことも沢山あります。
読んでくださった方、是非とも感想をお寄せいただけると嬉しいです。