半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

ノイズだからって嫌ってばかりじゃ勿体無い

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 昨日の記事(快適な雑音、という矛盾 - 半可通素人)でノイズについて書いたので、話を広げます。

 なんだか最近シリーズ化する傾向にありますが、就職活動について長々とシリーズでお届けしたので癖がついてしまったようです。
 
 さてノイズ=雑音というと不快なもの、取り除くべきものというイメージが一般的です。しかしノイズを敢えて加えることで快適さを担保している例もある、という話を昨日しました。このように邪魔者扱いされるノイズが生活の役に立つことがありますが、意外と人の成長にも役立てることができます。
 

 人は未体験のことやできるか分からないこと、気が進まないことなどに接した時に不快感を感じます。つまり感情がざわつき、不快感というノイズが生じます。ノイズ=邪魔者なので、この不快感を消す方向に感情が突き動かされ、先延ばしにする、逃げる、断るなどのネガティブな行動が生じます。

 ネガティブな行動によって不快感は解消されますが、これは裏を返すと自身の安定を求める行動、即ちコンフォートゾーンに閉じ籠る行動と捉えることができます。先日の記事(羅王様から脳髄に北斗剛掌波をくらった体験記 - 半可通素人)でも書きましたが、コンフォートゾーンに閉じ籠ることは、成長する機会を放棄することに繋がります。
 

 そこで見方を変えて、感情にノイズが生じた時に「これは今の自分にとってはコンフォートゾーンの外にあるからノイズが生じている。けれどゾーンの外のことに手を出すチャンスではないか?」と考えてみましょう。ノイズだからといって嫌うばかりではなく、それを成長の機会として利用してしまうのです。このような観点で見ると、実は今まで多くの機会を逃していたことに気が付くでしょう。なんだか勿体無い気がしてきます。

 
 羅王様も、「不快感は成長の原資」と仰っていました。今回の記事はその話を基に自分なりのこじつけを加えたものです。全ての不快感を原資にしろというわけではありませんが、少なくとも今までマイナスでしか捉えていなかったことのプラスの面を見るだけで気持ちは幾分楽になります。どうせ選択するならプラスの方がいいでしょ、くらいの開き直りでまずは試してみるのも悪くはないです。
 
つまるところ、「モノは言いよう、脳は使いよう」ということです。