半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

身近に転がっている二項対立の罠に気をつけよう

 都合によりしばらくお休みしていましたが、ぼちぼち書こうと思います。
 

◆単純な二項対立という罠

 先日の記事で、人間の感覚はアナログなので0か1かではなく0と1の間がモノをいう世界だと書きました。

快適な雑音、という矛盾 - 半可通素人

 
 これに関連して、ふと世の中を見渡してみるとこの0か1か、シロかクロか、善か悪かという2つのものごとの対立、すなわち二項対立に分けられているものが多いことに気が付きます。
 人は単純さを好み、複雑なものは避けたがるため、そうした性質が反映されているものと考えられますが、一方で単純な二項対立に落とし込んでしまうことで重要な視点を見落としてしまう罠に陥ります。
 
 具体的な例は挙げきれないほど豊富にありますが、最近の話題としてはテロとテロとの闘いという対立です。一般にはテロは悪、それに対する闘いが善とされており、政治屋やメディアが声高に自分達に利があると闘いを叫んでいます。もちろんテロは暴力であり、暴力で自分達の主張を誇示し他を従わせようという愚挙は決して許されるものではありません。
 しかしここで、「何故こうした対立が起きているのか?」という重要な疑問が置き去りにされていないでしょうか。元を辿れば昨今台頭しているテロ組織は欧米が中東に侵攻し自分達の考えに従わせようとした反動から生じているのであり、テロとの闘いを叫んで更なる暴力で抑えても新たなテロを生むだけです。この構造に目を向けない限り解決の道は拓けません。
 

 細かい議論はここでは割愛しますが、上記の例のように、二項対立に単純化された目先の扇情的な情報に踊らされ、本質に目を向けることを避ける傾向は本当に多く見られます。世の出来事は複層からなり様々な事象が絡み合って現象するため、とかく目先に囚われがちな自身を省みて、複雑なものごとも丹念に解きほぐして考える姿勢が欠かせません。

 
 なお改めて今を見てみると、メディアも政治もテロにまつわる二項対立に過度の焦点を向け、その他深刻な問題である原発事故、沖縄米軍基地、TPP等の話題がすっかり影を潜めています。そしてこれらの話題が語られる時も二項対立に矮小化して落とし込まれています。
 

◆そして二項対立が利用されている

 こうした二項対立に目を向けがちな人の性質は、特に権力層が国などの大きな集団をコントロールする際に利用されています過去記事でも触れましたが、分断統治という言葉がそれにあたります。民衆を統治するにあたって、そのままでは様々な考えの人が様々に主張し、中には権力層に反抗的な考えを持つ人が現れ力を持つ可能性があります。そこで敢えて2つないしそれ以上の対立を作り出します。それに民衆の目を向けさせることで考える力を削ぎ、溜まった不満を吐き出させ、反発の芽を未然に摘むのです。興味がある方は、検索すればアフリカの植民地でどのように分断統治が行われたかなどの情報が出てきます。
 
 ここ日本においても、かつて二大政党制が盛んに取り上げられ、自民党に対抗する党として民主党が勢いを増しました。二大政党制が悪い、小党乱立が良いとも一概に言えませんが、踊らされて気が付けばまた自民党に戻っているし前より悪くなっているという、とても笑えない状態に陥ってしまっています。熱し易く冷め易いと言われる日本人ですが、そうした面が裏目に出てしまって自らの首を絞めてしまっては目も当てられません。
 

◆今一度立ち止まって考えてみよう

 二項対立の行き着く最悪な行き先は、戦争です。先の大戦を経験し、現在の状況を肌で感じている方々は「今の流れは戦争が始まる前に似ている」と警告を発していらっしゃいます。この警告と、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉の意味を今こそ噛みしめる時です。
 愚者であることは楽であり、その誘惑は甘美で強いものですが、後悔する頃には既に遅すぎるのです。私達は愚者に安住するために生きているのではなく、より幸せになるために生きています。今ここで立ち止まり、二項対立の罠に陥っていないか、本当の問題はどこに存在するのか考えて行動するべきではないでしょうか。