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半可通素人

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすブログ。

教育は人の問題 ≦ 環境の問題だった?(その4)

   前回の記事(教育は人の問題 ≦ 環境の問題だった?(その3) - 半可通素人)で上下関係の形骸化について書きましたが、足りない部分があったので追加します。

 

◆教えることで教えられるという見返り

   まず、上下関係において下の面倒を見る上に対する見返りは「自分が面倒を見てもらった恩」と書きました。しかしこれだけでは動機としては少し弱い気もします。
   そこで考えてみると、「上は下に教えることで自分の理解が深まる」というメリットがあることに気が付きました。書くこと=感覚を濾過していくこと(その2) - 半可通素人でも書きましたが、自分が理解することと人に教えることは異なります。分かったつもりのことも、いざ人に教えようとすると言語化の壁があり案外上手くいかないものです。この壁を上は自分なりに乗り越え下に教えていきますが、その過程で教えることに対する更なる理解が促されます。
   教育は、「教育する側も実はその過程を通じて再教育される」という二重の構造をしているのです。普段意識はしませんが、これは教える側の見返りとして確かに働いているメカニズムです。
 
 

◆行き過ぎた個人主義が形骸化を招いた

   そして前回、上下関係が形骸化している要因について分析しましたが、加えて思うことがあります。
   上下関係に限らず、人間関係を上辺だけでしか捉えない人が増えていると感じます。これには精神的低年齢化もさることながら、昨今の行き過ぎた個人主義が大きく影響しています。小さい頃から「個性が大事」と教え込まれ、人のことより自分が満足できれば良い、人に関わるのは面倒だ、そのくせ自分でやるべきことすら人に世話をして欲しい、などという自己中心的、即物的な考えの人間が大量生産されているのが現状です。
 
   この状況に教育が関係しているのは言うまでもありません。
   大人の視点から見れば、個性が人の素養として重要であることは言うに及びません。しかし子供の時期は個性以前に人として社会生活を送るために必要なルールや協調性、他人を思いやることをまず覚えなければいけません。基礎を固めずして家を建てれば、見た目は良くても耐久性が無くスカスカの上辺だけ取り繕った物件になります。
 
   そうした基礎の抜けた精神構造が、前回記事で挙げた「自分が気に入られるためだけに下の面倒を見る」という行動に繋がっていると見ることができます。
   人間の成長を過程で捉えず、大人の時点での結果からしか考えない薄い思考と、欧米の個性を重視する教育の上辺だけを見て安易に取り入れる浅はかな姿勢。その結果ちぐはぐな施策を子供に押し付け、社会的に未熟な大人を世の中に生み出し続けている教育行政には大いに疑問を感じます。
 
   個性個性と叫ぶ前にやることがあるでしょう。
 
 
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