半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

4年後の光景

   昨日で2011年3月11日から4年経ちました。もう4年、まだ4年、人によって抱く思いは様々でしょう。
   あの時私は職場にいて揺れを感じました。長いこと揺れるなと思っていたらどんどん強くなり、慌てて机の下に潜り書類棚が今にも倒れそうに大きく前後に揺れていたのを覚えています。
   電車は早々に止まり、家まで遠かった私は自力で帰るのを諦めてそのまま会社に泊まりました。

   そして東北から聞こえてきた驚くべき被害の数々…。それを現実と認識するにはあまりに非現実的な光景でした。ですがそれが現実でした。私が経験したものとはとても比較にならない被災がそこにあり、そしてそれは今も続いています。そのことを忘れてはいけません。

   あの時から私達が見る光景は大きく変わりました。大きくなる一方の原発事故、生活基盤が崩れた時の脆さ、責任を取らない国と大企業、それに追従するメディア、二分される世論。震災の前からそれらは存在していましたが、私達は気が付かなかったか見て見ぬ振りをしていました。しかし震災でそれが否応なく突きつけられ、多くの人が直面することになりました。
   福島の原発建屋が水蒸気爆発で吹っ飛んだのに、それを「爆発的事象」と言って「直ちに影響はない」などと繰り返した政府の対応はいまだに忘れません。

   そしてアンダーコントロールなのは国民にもたらされる情報ぐらいなもので、止まらない汚染と杜撰な対応の数々については説明するまでもないでしょう。原発そのものの問題もありますが、年月が経って放射能の懸念が薄れた(と思わせた)のをいいことに、焼却炉をすごい勢いで建設し、放射性廃棄物を日本全国で燃やして二次三次の汚染を引き起こしています。

   先日、チェルノブイリ原発事故で汚染された地域に住む子供達の現在についての講演を聴く機会がありました。ウクライナでは生まれてくる子供の多くに何らかの疾患が見られ、学校の体育の授業は子供の健康状態によってクラスが分けられています。比較的健康な子供は負担の掛かる運動も行なっていますが、疾患が重い子供は運動することもできません。そしてチェルノブイリ法という法律によって子供には汚染のない食物を使った給食が与えられます。
   子供の疾患は甲状腺の嚢胞から白血病、心疾患、発達障害、喘息など様々に及んでいます。

   これを見て、日本の将来を案じずにはいられませんでした。ウクライナでの光景が日本でも見られるようになる。何も知らない子供達は大人が守るしかありません。チェルノブイリ事故で汚染を受けた地域では、先ほど挙げたチェルノブイリ法など国が対策を主導して子供の健康を守るべく様々な取り組みが行われています。しかし日本では、残念ながら今のところ国や自治体はあてになりません。したがって自分の手で自分と子供を守らないといけないのです。私達にできることは多くあります。まずは知ることから。

   明日見える光景に保証などありません。ですがそこに生きる私達は今を明日を幸せにするために生きています。そのことを改めて思い出すためにも、3月11日がくる度にあの日あったことを留めておきたいです。