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半可通素人

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすブログ。

人類みな変態説 - マサルさんに学ぶ「普通とは?」

   「エリーゼのゆううつ」「放課後キャンパス」「あふれ出す煮汁」「ランバダ」「ノッホソ」…

 
   これらでピンときた人は私とすぐに意気投合できます!
   今日は私のバイブルとも言える漫画について。 

    何を隠そう私はマサルさんが好きです。その魅力については語り尽くせませんが、シュールなギャグ、個性的なキャラクター、学校という身近な舞台、先の読めない展開、時々雑になる絵…。単行本は今でも私の本棚に全巻揃えて並べてあります。時々雑になる絵がダメという人も多いみたいですが、あれは作者の休憩と話の抑揚をつけるスパイスだと思えばいいです。

 
   ジャンプで連載していたので当時読んでいたという方も多いと思います。私はジャンプを買っていなかったのですが、小学生の時に友達に単行本を借りたのがきっかけで一気にハマりました。あまりにハマり過ぎてセリフを暗記してしまい、何も見ずに話を再現できたほどです。たぶん今でも一部再現できます。せめて毛乳頭刺激活性化毛髪発生新薬開発協議会くらいでないと。
 
 

   好きな話は数あれど、部費を巡って野球部と野球で対決する話がマサルさんのエッセンスが凝縮されていて一番好きかもしれません。セクシーコマンドーは全然使わないけど。

   試合の前から、「ホムーランボー」が飛んできたり、ロボピッチャが天高く飛び立ったり、キャシャリンがダビデニ中のエースだったり、ナイスガッツボナンザだったりとネタのオンパレード。うすた先生の頭の中はどうなっているのか一回覗いてみたいものです。決着の仕方に多少の無理矢理感があるものの、それもうすたワールドの魅力の一部でしょう。野球という題材は各キャラに見所を持たせられるのでいいネタを考えついたものだと思います。そして最後までトレパンはヘタレ。余談ですがトレパン、ケミカルウォッシュ、野村義男などはこの漫画で始めて知った言葉です。
 
 
   私の高校生時代にここまで変態もとい個性的な友達はいませんでしたが(いたら結構大変)、ふと考えると自分を含め誰もが皆何かしら変わっているところを持っているなと思うのです。本人が至って普通と思っていても周りから見たらいや変だよそれということもよくあり、いわば誰もが変態性を有していると言えます。人によってそれが表に出る度合いが違うだけであり、極度に強調するとマサルさんに出てくる登場人物になるんだと思います。
 
   作中でアフロ君が個性について悩みますが、彼もマサルさんとの出会いによりフタを開ければ個性どころか変態性を開花させます。モエモエも可愛い女の子ですが、ヒゲに対する執着は変態的です。そしてアフロ君の例に挙げたように、ヒゲ部の部員達はマサルさんの影響によってみな変態性を開花させていきます(もともと変態だったキャシャリン、スーザンは除く)。かくいうマサルさんも小さい頃は父の意に反してロマンチックな乙女に近い少年だったのが、家族旅行で行ったサバンナで自分達を襲ったライオンを倒した父に憧れ、今のスタイルを確立しました。宇宙人さえも屈服させる圧倒的に変な人。まさにすごいよ‼︎マサルさんです。
 
 
   そういった意味で私は人類みな変態なのではないかという説を唱えます。己の中の変態を解放するか否かの違いだけであり、だからこそみんな違って、みんないい。となります。そして変態の解放においては人との出会い、周囲の影響というのが重要な役割を果たすということです。
 
 
   ここでの「変態」の定義が至極曖昧ですが、普通と違うさまという程度のゆるい意味だと捉えてください。Wikipediaで変態を引くと変態性欲と出てきますが、さすがにそこまでは行き過ぎなので。そうすると今度は「普通」とは何か?となりますが、この普通も定義が曖昧な漠然としたものです。いわば多くの人が共通して了解している考え方といったものですが、誰かが決めた普通なんてさほど価値はありません。普通に縛られ、自分の気持ちを押し殺していては勿体無いです。
 
 
   マサルさんを読めば、普通など取るに足らないものだと分かります。読んでいた小学生〜中学生当時にそのことが分かれば良かったのですが、まだ自分を客観視したり相対的に見ることができなかったのでそこまで読み取れませんでした。常識に囚われていた従順な子供だったなと今では懐かしい思いです。そんな私も大学時代に様々な変態との出会いに恵まれ、自分のひ弱な価値観を壊してもらえました。今では「普通って何?それで楽しいの?」と言えるくらいはオカシクなれました。
 
   しかし色々な人と接していると、頭のネジが2、3本外れていたり、ギャップがあったりする人の方が魅力的であることに気が付きます。ネットでも少しオカシイくらいの人が書く文章の方が主義主張がはっきりしていて面白いし勉強になるものです。凡庸は罪!
   ギャグ漫画などの笑いは、「日常とのギャップ」によって笑いが引き起こされるものだと考えられます。マサルさんは設定が突飛ですが舞台は高校生活という誰もが知っている日常のため、地に足の着いたギャグを思いっ切り飛ばせるのでしょう。ギャップ万歳!
 
 
 
   …ここまで読めば分かる通り、勿論私も変態です。
   いや、真の変態は自分が変態である自覚すらないものだとすると、私もまだ普通の枠に囚われていてそこから脱することを欲している凡人に過ぎないのかもしれません。変態の道は遠い。
 
 
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