二度ある事は三度目の正直な不思議
今日はタイトルが全て。
◆諺(ことわざ)の矛盾
随分と前から気になっていたのですが、「二度ある事は三度ある」と「三度目の正直」という諺。前者はどちらかというと悪いことは繰り返すという意味で使われ、後者は良いことを期待する意味で使われます。しかしこれらを合わせた時、矛盾が生じてしまいます。二度失敗したら三度目も失敗する確率が高いにも関わらず、三度目で逆転することを期待しています。
どちらが正しいのでしょうか?
経験的には三度目も失敗、心情的には三度目で成功が正しそうな気もしますが統計的に有意に多いのはどちらか気になるところです。誰か調査した人などいないのでしょうか。
二度ある事〜は油断を戒める諺、三度目の〜は諦めを戒める諺として、その場その時に応じて心掛ければ良いというのが使い方として妥当と言えそうです。
そんなことを考えていたら、やはり同じことを考える人がいました。
グーグル検索で「二度ある」と入れたら検索候補に「二度ある事は三度ある 三度目の正直」と出てくる始末です。やはり皆さん気になるんですね。
結局のところ人間は矛盾した存在なので、諺もそうした矛盾を内包しているといったところで落ち着きそうです。
◆三にまつわる諺たち
ここでは三という数字がキーになっていますが、諺には不思議と三がつくものが多いです。「仏の顔も三度まで」、「石の上にも三年」、「三人寄れば文殊の知恵」、「三つ子の魂百まで」、「早起きは三文の徳」、「三日坊主」、「三顧の礼」、「一日三食」、「おやつは三百円まで」などなど。日本人は三という数字が好きなのでしょうか。一よりは二、それでは中間がないので三あたりが適当ということなのか。第三者、三者三様という言葉もあります。
たまには言葉に思いを馳せるのも良いものです。言葉の世界は奥が深いです。
このブログはよく三日坊主で更新が途絶えますがご容赦ください。石の上にも三年の精神で地道に続けようと思います。