感情の激化と感覚の鈍化
成長するにつれて失ったもの。
◆瞑想についての話
昨日友人に瞑想についての話を聞きました。SIY (Search Inside Yourself)というGoogleで人気の研修についてのセミナーを受けてきたそうで、その内容を教えてもらいました。友人のブログにも書いています。
SIYの解説は友人のブログを読んでいただくとして、瞑想については何となくのイメージはあるものの、詳しく知ることは今までありませんでした。曰く、瞑想とは「自分自身の五感に意識を集中し、判断や評価することなく感じること」ということのようです。方法は幾つかあるそうですが、例えば坐禅を組み、自分の呼吸を数え鼻の頭に意識を集中します。この時にいろいろな雑念が浮かんできたり、集中力が途切れて鼻の頭以外の所が気になったりしますが、意識が離れたと感じたらまた意識を集中し直し、その状態を維持します。また雑念が浮かんできたことに対して、集中できない自分はダメだとかなぜ雑念が浮かぶのだろうなどという判断や評価は行わないようにします。
瞑想の体験として試しに中指を1分間見つめるということをやってみたのですが、5秒と持たずに周囲の物音が気になったり、血管や指紋の数を数えたり、手が静止せずに微妙に動いていることが気になったりと、1分間集中して指を見つめるというのがいかに難しいかを改めて認識しました。
◆瞑想の効用
瞑想をすることの利点として、自分の感覚に鋭敏になり、思考の集中力が高まったり精神的な充足感が上がったりするそうです。また例えば怒りが湧いて来た時に、「ああ自分の中には今怒りという感情が沸いているな」と客観視することで、怒りに囚われずに感情のコントロールが行いやすくなります。歩きながらできる瞑想もあるらしく、歩いている時の足の裏の感覚、かかとから踏み込み土踏まずを通して足先で蹴り出す過程、腕の振りや倒れないよう常にバランスを取っていることなどに集中することで実は歩くだけでも多くの複雑な動作を行っていることを感覚できます。
瞑想というと多分にスピリチュアルな要素を感じますが、脳科学的な観点からも普段あまり使っていない脳の部分を使うことで脳の筋力トレーニングになるという見方ができます。
◆大人が失ったものを思い出す
思えば大人は子供に比べて多くのことができますが、一つ一つの動作をとってみると何か他のことも考えながら漫然と行っていることに気が付きます。例えば歩いている時もとりとめのないことを考えていたり、食事の時もテレビを見ながらだったり自分の気掛かりなことや仕事のことを考えながらただ口を動かしているだけだったりします。食事に集中すれば、目の前の食べ物の色、匂い、食感、舌のどこで味を感じるかなど、実に様々な感覚が働いていることが分かります。
これに対して子供は小さい時ほど何をするにも全力で、走るのも一生懸命、食べるのも一生懸命、おもちゃで遊ぶのも一生懸命です。
子供は認識が発達していないので身体感覚が優位だというのはもちろんなのですが、大人は認識を発達させたことによって感覚をマスクしていないか?感情が激化してあれこれ考え過ぎて感覚を鈍化させていないか?ということを思いました。
何かをしながらぼんやり考えていることは案外重要でないことも多いので、時には普段の何気ない一挙手一投足に集中し、その時の感覚をじっくり味わうことを意識することでいわばプチ瞑想を自分の中に取り入れても良いのではと思います。