「自分2号」のすすめ
以前の瞑想に関する記事(感情の激化と感覚の鈍化 - 半可通素人)で、瞑想の利点として自分を客観視できるということを書きました。この「自分を客観視する」ことについて、少し掘り下げてみます。
◆自分のことをどれだけ知っているか
皆さんはご自分のことをどれだけ知っていますか?という問いに答えるのは実は難しいです。自分のことは自分が一番知っているよ!と思いがちですが、案外分かっていない部分も多くあります。そして人は社会的存在であるために「自分が思う自分」と「他人から見た自分」という二重の構造をしています。自分のこと、と言った時はほとんど「自分が思う自分」に焦点が当てられ、「他人から見た自分」についてはさほど意識されません。
人はしばしば視野狭窄に陥るので、やっていることが上手くいかないとか人との関係に悩むといった時に、この「自分が思う自分」視点でものごとを捉えて、その範疇で解決しようとします。しかしそれだけでは解決が難しく打つ手に困る時があります。
こうした場合に「他人から見た自分」を意識すると、違った見方ができます。
◆「他人から見た自分」意識が必要
大抵のものごとは他人との関係の中で進みますので、そこでの自分の立場や評価は「他人から見た自分」によって規定されます。この時「自分が思う自分」と「他人から見た自分」の間にギャップがある場合、「自分が思う自分」視点の対応は独りよがりで周囲の意識とはズレているために上手くいかず、自分にフラストレーションが溜まり周囲の評価も下がるという残念な事態になります。
このようなことを避けるために、「他人から見た自分」を意識することが必要になります。かと言って他人になって自分を観察するなんてことはできません。そこで冒頭の「自分を客観視する」ことが出てきます。
◆自分を客観視するためには
自分を客観視するためにはどのようなことをすれば良いのでしょうか。瞑想も1つの方法です。以前の記事に書きましたが、例えば瞑想を行って自分の感覚に鋭敏になっておけば、怒りが湧いてきた時に「ああ自分の中には今怒りという感情が湧いているな」と客観視することで、怒りに囚われず感情のコントロールが行いやすくなります。
また瞑想まで行わなくても、私が日頃心掛けているのが「自分の中に他人視点の第二の自分を置く」ということです。主観から逃れることはできませんが、敢えて客観的な他人視点を脳内に住まわせておくことで、他人から見た場合に自分はどう映るのかを考えます。
イメージとしては、脳内に「自分2号」を作り出して2号にいろいろ考えさせるということをします。少し難しい言葉で言うと、「自己の観念的二重化」と言います。
◆自分2号の効用
脳内に自分2号を飼っていると、少し冷静になれます。考えに詰まった時や感情に囚われそうな時に2号に客観的な視点をもたらしてもらうことで、選択肢が増えたり一呼吸おいて気持ちを切り替えるきっかけになったりします。精神衛生上も客観視を取り入れることで必要以上に深刻になることを防ぐことが期待できます。また他人視点で考えることは相手の立場に立ったり人の気持ちをくむことに繋がるので、人間関係を円滑にしたり人のことで思い悩む事態に陥りにくくなります。
良いことばかり書きましたが、あまり客観視ばかりしていると冷めてつまらない人間になってしまうのでバランスに気を付けることも重要です。また、自分2号を育てすぎて勝手を許すと二重人格になる可能性もないとは言い切れないので、何事もほどほどが肝心です。
人は自我に縛られて生きていかざるをえませんが、自分2号を作って有効活用してみるのも良いのではないのでしょうか。