半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

アメリカは反知性主義、日本は半知性主義

 

アメリカを動かす「反知性主義」の正体:日経ビジネスオンライン

 
   少し前の日経ビジネスの記事ですが、興味深かったのでご紹介します。
 
   近頃話題?らしい、「反知性主義」についてインタビュー形式で解説している話ですが、反知性主義というのは馴染みがありませんでした。曰く、「今、主流になっている知性や理論をぶっ壊して次に進みたい」という別の知性のことを言うそうです。そうした既存の権威に対する挑戦がアメリカ人の態度や行動の背景にあると。彼の国の建国の歴史を見ても、それは当てはまります。日本人はお上に従い強きになびく国民性なので、そうした考えはピンとこないでしょう。
 
   しかし現在の日本社会を眺めれば明らかなように、伝統墨守で過去の成功体験をなぞるだけではもはや立ち行きません。既存の権威をぶっ壊すという姿勢は今これからの日本において1つの重要な方向性を示していると思います。
 

   そして話は転じてアメリカ人と日本人の宗教への距離感に移ります。アメリカは更地から国を建てたので目標や理念が必要であり、宗教がそこにハマったと。対して日本は社会が成熟していたので新しいものには簡単に引かれない。ただ、新しい秩序が必要な時に宗教が躍進するという指摘です。OSの書き換えに例えていましたが、これもなるほどと思います。宗教という科学的でないものに対する不信感とか、見えない部分への不安や教義に染められる恐れといったものの他に、変化に抵抗する人間の性質が働いているという、言われてみれば腑に落ちる観点です。

 
   また日本人はキリスト教徒に対して決まって「敬虔な」というイメージを持ちがちですが、それに対するコメントも納得。
 
あなたがキリスト教徒に謹厳なイメージをお持ちなのは、日本にキリスト教徒が少ないからですよ。宗教に限りませんが、マイノリティの人はどこでもみんな肩ひじ張っていて、まじめなんです。(中略)逆に、例えばアメリカに行くと、アメリカの仏教徒というのはすごいまじめなの。
 
   多数に対する少数だから模範的に振る舞おうとするという人間心理が働く訳です。本来宗教はもっと身近で自由なものと思いますが、日本人にとっては何か特別なことのように感じられるのはこうした要因があるということで勉強になります。
 
   さらに前述の日本は社会が成熟していて既存の権威を護持する方向に回りやすいので、「半知性」しかないそうです。既にあるものを踏襲していけばそこそこいいものができるから。これは日本人としては少し悔しい指摘です。確かにどこを見渡しても既得権益ががっちり出来上がっていて、変化に対しては頑なに抵抗があります。こうしたものを壊していかないと大きな変化には対応できず、これからの世代が割を食うだけです。
   社会を担うのは私達1人1人なのですから、自分の足元を見つつ「半知性から反知性への脱皮」を遂げていかないと、いつまで経っても飼い慣らされた羊のままでしょう。私はそれは嫌だなと思います。
 
   記事中で挙げられていた以下の映画も、さらなる理解のために参考になりそうなので観てみたいと思いました。
 
 

 

 

 

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