半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

五月病をやっつける方法を4つ考えた

   GWの前後と最中に更新を怠けていたので随分と間が空いてしまいました。うっかりするとこのままネットの海の藻屑となってしまいそうなので、気を取り直して書きます。

 

   GWも終わり、世間では五月病の話題を見かけることが多くなりました。この五月病、一般的には四月になって新しい環境に変わった人が五月の連休を経て心身に変調を訴えることを言います。

五月病 - Wikipedia

環境が変わり、それに適応できないことの疲れが連休の後に表面化するというのが概要ですが、何も環境が変わらない人でも連休の後は日常に戻るのが辛かったりするものなので、多くの人が陥る症候群だと言えます。(連休中も働いてたよ!という方、大変お疲れ様です。)

 

   かく言う私も休みに戻りたい気持ちでいっぱいです。しかし時は前にしか進まないのでまた来年を楽しみにするしかありません。(今年は九月にもそこそこの連休があるという噂。)そこでこの厄介な五月病に対処する方法を以下に考えてみようと思います。

 

●GWは終わっていないと考える

   休みが恋しいのであれば、実は休みは終わっていないと暗示をかけることで自らを騙す方法が考えられます。といっても平日は学校や仕事がありますが、これは休みのオプションが変更になったと考えてやり過ごします。そうこうしているうちにまた週末がやってくるので休みの続きです。

   書いてみたものの現実味がない。

 

●GWの存在を忘れる

   上記とは逆に、GWがあったから休み明けが辛いのであって、そもそもそんなものなかったと思えば惜しむこともないです。「過ぎたるは及ばざるが如し」の言葉の通り、休み過ぎは休まなかったことと同義なのでGWなんて実は幻だったのです。人は大きな変化への対応に苦慮するので、連休→日常という変化を日常→日常という変化に近似してギャップを埋めるという思考実験。「毒をもって毒を制す」とも言います。

   しかしGWをなかったことにすると連休中の思ひでがなかったことになり、それは人生における楽しみのいくばくかを放棄することになるのでイマイチです。

 

●情報収集して戦略を立てる

   冒頭で述べた通り、この時期世の中には五月病に関する話題が溢れています。そこには単なる五月病の説明から、どのように乗り越えていくかまで玉石混交の状態ですが、中には役に立つものもあるでしょう。そこでこれらの情報に触れて傾向と対策を練るのも一つの手です。昔から、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と言われているように、相手が何たるかを知ることが第一歩です。また自らの変調が何に起因しているかを知ったり、他にも多くの人が陥っていることを知ることで「自分だけじゃないんだ」と思うことでひとまずの安心を得られるという効果も期待できます。「知る」ということには人を安心させる側面があります。

 

●書き留めて昇華する

   今日の本題はこれです。今の自分の状況や心境、辛いと思っていることや願望などを何でもいいので書き出します。これだけ?と思われるかもしれませんが、「書くこと」の効果は侮れません。書くためには考えるだけでは使わない脳の部位を使うことになりますし、書くことで自分を客観視することに繋がります。頭の中でぐるぐる思い悩んでいても現実は何も変わりません。書いて文字に見える形にすることで少し現実に近づけることになります。自分が書いた文字を眺めていると気持ちも変わってくるかもしれません。

   書く対象はメモでもその辺の紙でも日記でも何でもいいです。できればブログなど他人に読まれる媒体に書くと、「人に読まれる」という前提で脳が動くのでより頭を使うことになります。まあ内容が私的な悩みであればわざわざ公開することもないとは思いますが。

 

 

   精神科の治療でも、認知療法といって自分の状況や心境を書き出すことでものの見方、受け取り方(認知)を知ってそれをより良い方向に向けるように働きかけるという手法があります。五月病も軽い心疾患と言えなくもないので、こうしたことを知っておくだけでも軽快の手助けになるでしょう。

 

   いろいろ言いましたが、要はブログ書こうぜ!という話です。

 

   【余談】最近、偏差値××から慶應に現役合格したという話が取り沙汰されていますが、想像するに晴れて慶應に入学したとして、周囲の人や環境がそれまでとあまりに違うということに直面するので本人は五月病になってしまわないかなと少し心配になります。ちなみに偏差値が上がってもそもそも慶應に入学し通わせられるだけの経済力が家庭にないと成り立たない話だという点も見落としてはいけない気がしています。

   メディアのもてはやす話題にもちょっと立ち止まる視点が欲しいものです。