半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

哲学は自由をめぐる人間の物語(その1)

   友人に教えてもらい、会社の研修部門が開いているセミナーに哲学の講演があったので後学のために昨日聞いてきました。テーマは「幸せに生きるための哲学」です。

 
 
 

◆哲学とは何か?

   まずは哲学に対する印象の話から。哲学というと、よく分からない人にとってはやはり難解な概念を難しい言葉を使ってごちゃごちゃ考えているという印象がつきものです。しかし講師の方が考える哲学は、様々な問題を「こう考えれば最もうまく解き明かせる」という「考え方」を提示するものであるということだそうです。答えの無い難解な概念をこねくり回すのが哲学だという人もいるようですが、そうではなく、答えを出したい、そのために考えるのが哲学だとのこと。私も「利害や感情を排して徹底的に本質は何かを追求するもの」と思っていたので、講師の方の考えに近いと感じました。
 

   また、しばしば比較される宗教と哲学の違いについても触れ、曰く世の中の幸福や不幸、苦しみといったことに対して、宗教は物語で答えを出すもの、哲学は誰もが納得して検証できる考えを提示するものだということです。これは分かりやすい説明で、宗教では例えば神が人間を作ったとか、人間の不幸はアダムとイブが知恵の実を食べた結果であるとか、神の教えは聖典に書いてあるといったことが言われます。そしてそれらを信じれば人は救われるのであり、信仰が宗教の基本となっています。過去記事(神様は信じるけど宗教は信じません - 半可通素人)でも書きましたが、宗教はこうした教義による縛りがあり、異端を排除する性質があるので私の考えには相容れない部分があります。一方、哲学はより中立的にみんなが納得できる考えは何だろう?ということを考えます。ここには思考の自由があり、より冷徹に本質に迫ることが可能になります。

 
   どちらも真理を追求する人間の営みですが、宗教は宗派の対立から戦争に行き着き、人はずっと真理をめぐる殺し合いを繰り返してきました。このことは指摘されなければいけません。そして近代ヨーロッパにおけるカトリックプロテスタントの対立など、歴史的に宗教対立が激化すると、そうした真理をめぐる殺し合いを避けるために何とか答えを出そうとして哲学が発展してきたという背景があるそうです。こうした歴史的背景は不勉強にして知らなかったので、勉強になりました。
 

◆どちらが良い、ではなく

   ここで言及しておきたいのですが、私は宗教が悪い、哲学が良いということを言いたい訳ではありません。そうした良い悪いの二項対立(身近に転がっている二項対立の罠に気をつけよう - 半可通素人)に陥ることは思考停止に繋がります。そうではなく、問題に対するアプローチの仕方が異なるのであって、明らかにしたい主題は同じであるということを理解しておきたいです。でないと一方を批判して終わるというおよそ建設的ではない事態になります。
 
 
   こういう話題を書き出すとつい長くなってしまうので、続きは次回にします。