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半可通素人

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすブログ。

哲学は自由をめぐる人間の物語(その4)

   前回の記事(哲学は自由をめぐる人間の物語(その3) - 半可通素人)までで哲学の発展の歴史について眺めてきました。ここからは話が変わり、自由とは何か?という人間にとって大きなテーマについての紹介があったので書き進めます。

 

◆自由とは何か?

   自由というのはいつの世も人々が追い求めてきたものです。しかし「自由とは何か?」「自由の本質とは何か?」と問われると、ぱっと明確な答えを出すのは難しいのではないでしょうか。哲学者達もご多分に漏れず自由についての思考を巡らせました。ニーチェについての紹介の中で、人は世界を欲望や関心に応じて認識しているという主張が挙げられましたが、こうした人間的欲望の本質は自由であると考えたのがヘーゲルです。ヘーゲルに関しては本ブログの中でも今年1回目の記事で言及しました(森の哲学者は夕暮れ時に飛び立つ、ということ - 半可通素人)。また何度か取り上げている弁証法この世のすべての存在は「コップ一杯の水」と同じである - 半可通素人まずは雑巾掛け、皿洗いから。:量質転化で自分を変えられる - 半可通素人)でも有名な人物です。
   ヘーゲル曰く、人間の欲望は対立します。例えば「甘い物が食べたい」という欲望があり、一方で「でも太りたくない」という欲望も同時に立ち現れます。この対立があるが故に人は不自由を感じ、対立を越えたい(→即ち自由になりたい)となります。これが欲望の本質であり、欲望の本質は自由であると指摘しました。そして欲望が満たされれば幸福を感じるので、幸福の本質は自由ということになります。この欲望の対立の例えは分かりやすいですね。人は同時に相反する欲望を抱くものです。
 

◆哲学は自由をめぐる人間の物語

    こうして人間は幸福つまり自由を求めて歴史を積み重ねていくのですが、それは自由をめぐる戦争の歴史でもあります。ホッブズは「万人の万人に対する闘争」と言いましたが、自然状態では人は自由をめぐって殺し合いを繰り返します。哲学はこれを無くすためにはどうすればいいか?を考え、初めは万人の同意で統治者に権限を委譲する絶対王政を敷けば良いとしました。しかしこれでは統治者以外の圧倒的大多数は不自由であり、幸福の本質は自由であるということに反します。従って自由に生きたければ互いの自由を認め合うしかないという考えに行き着きました。
   ここでまた人名が出てきますが、これまた有名なルソーは「不幸の本質は欲望と能力のギャップである」ということを言いました。つまり幸せになるためにはギャップを埋める必要があるということです。それには「能力を上げる/欲望を下げる/欲望を変える」という方法が考えられます。最初の2つというのはなかなか人間にとって難しいことですので、3つ目が重要です。少なくとも「欲望を変えられる」ということを「知っている」だけで自由になれると思いませんか?そして先程までの論理に則れば、欲望を変えて自由の相互承認に徹底的に自覚的であれば、自由つまり幸せになることができます。
 
   これが現在の哲学の自由とどうすれば幸せに生きられるのか?に対する答えということのようです。
 
 
   一連の話を通して、哲学は小難しいものではなく人間の本質を求める知的営みが積み重なってきたものだということがお分かりいただけるかと思います。セミナーの内容は概ね以上のようなものでしたが、ここから友人と私が考えたことが幾つかあるのでそれはまた次回に書きます。長々と引っ張りますが今暫くお付き合い下さい。
 
 
 
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