飛ぶことの先にジョナサンは何を見るのか:「かもめのジョナサン」を読んだ(その1)
古本フェアでふと見かけて買った「かもめのジョナサン」を先日読みました。ジョナサンといえばカモメかファミレスか、と言うほど有名な話の割には読んだことがなく、中身を知らなかったということもあります。
- 作者: リチャード・バック,Richard Bach,五木寛之
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1977/06/01
- メディア: 文庫
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読む前は勝手にほんわかしたおとぎ話だろうというイメージを持っていたのですが、実際は哲学的問いを持った興味深い寓話でした。先入観というのは人をしばしば誤謬に陥らせます。
ジョナサンは少し変わったカモメです。他のカモメはただ餌を獲り移動するためだけに飛んでいるのに対して、ジョナサンは「飛ぶこと」という行為そのものを追究することに興味を持ちます。どうすればよりエネルギーを使わず、速く飛べるか。飛行技術の習得と新たな技術の発見に喜びを見出し、飛行の練習のために餌を獲ることすら惜しんで没頭します。
群れの他のカモメ達は、飛ぶことはただ生きるために必要な行為に過ぎないと考えています。よって飛行技術などに興味はなく、ただ餌を食べ、眠るという毎日の繰り返しに何の疑問も持っていません。それどころか餌を獲ることも忘れて飛行の練習をするジョナサンを奇異の目で見ています。
そして新たな飛行技術を習得し、皆の前でそれを披露したジョナサンを群れの掟を破ったとして追放してしまうのです。ここには、人と異なることをすると疎まれ除け者にされるという人間社会の様相が写し出されています。
そして群れから追い出されたジョナサンが放浪の先に出会い、見つけたものとは…。読み進んでいくと描写がどんどんと観念的になり、終盤はもうカモメ関係ないじゃん!って話になってしまいます。そこには肉体を超越した世界があり、なかなかにぶっ飛んだお話へと発展していきます。
少し書き足りないので次回に続きます。