半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

飛ぶことの先にジョナサンは何を見るのか:「かもめのジョナサン」を読んだ(その2)

 
   前回の記事の続きです。
 
   飛ぶことの追究に生きる喜びを見出し、自分の欲求に素直で変わることを厭わないジョナサン。同じ日常を繰り返し、変化を否定し集団の秩序を保とうとする群れのカモメ達。これは我々人間の社会において大手を振っている同調圧力を表しています。変化を起こす者、自由に振る舞う者は集団の中で疎まれ疎外され、度が過ぎると追い出されます。
   しかしジョナサンは追放されても飛行技術の追究を止めず、孤独ながらも飛ぶことについて学ぶ日々に満足感を覚えます。そして同じように飛ぶことの高みに登りつめた仲間と出会い、カモメの概念を覆していきます。
 

   集団の輪に守られて変化はないが安定した日々を送るか。変わり者と見なされることを恐れず自分に素直に高みを目指すか。どちらが幸せかは読み手によって解釈が異なると思います。この物語はジョナサンの生き方を通じて、目標や夢があるがこのまま進んで良いのか迷っている人を後押しし、例え少数派でも自分が目的や喜びを見出せれば幸せに通じる道があることを教えてくれます。私はジョナサンのような生き方に憧れを抱きます。

 
   しかし一方で訳者の五木寛之氏があとがきで指摘しているように、普通の生活を送るカモメ達がないがしろにされているような描写であり、読者によっては違和感を生じさせることになります。「普通と思われる生活」を送ることも、「自由に生きる」こともどちらも1つの選択であり、必ずしも善し悪しで断じることはできません。また終盤では高度な飛行技術を身につけたジョナサンが群れに戻ってかつての自分と同じような考えのカモメを指導し、群れの仲間をより高みに導いていくというような展開になります。これは「自由を求めて抜け出した先導者が集団をより高みに導いていく」という、俄かに扇動的な革命思想というべき思想が見え隠れしています。
   ジョナサンに感化されて「自分の追い求める道を突き進めばいいんだ!そしてまだ気付いていない不幸な皆を導いてあげよう!」というのも性急な気がするので、読む人のバランス感覚が問われる作品とも言えます。この本が書かれたのが、革命思想が流行した1970年代だったというのも背景にあるようです。
 
   話は変わりますが、前半のジョナサンが飛行技術を追究する場面では、情景の描写が淡々としていて挿し絵としてカモメの写真が多く挟まれているので物語に引き込まれやすい構成になっています。過去に「老人と海」を読んだ時も情景描写の淡々さが印象に残ったのですが、同じアメリカ文学ということでこうした描写が特徴なのでしょうか。二例しかないので何も言えないに等しいですが…。
 
   好きなことを追い求めたジョナサンの姿を通じて「如何に生きるべきか」という哲学的な問いを考えさせる、思いがけず示唆に富んだ物語でした。読んでおいて損はないと思います。