半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

何も話さなければそこにいないのと一緒である、という不都合な真実

   時折何気ない瞬間にふと、昔のことを思い出すことがあります。その中でも「自分の考えに大きな影響を与えた言葉」というのが幾つかあり、昨日そんなことを考えていたので記事にします。

 

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photo by a2gemma

 

◆かつての自分

   自分のバックグラウンドというのを思い返してみると、私は無口で消極的、受け身な性格で大学生の頃までは今より「人の集まり」というのが苦手でした。小中高と引越しに伴う転校を経験し、新しい環境への適応とそこで友達を作るということはできていましたが、いつからか「人が集まる場所で発言、主張をする」ということに苦手意識を持っていました。グループでの話し合いや大学生になってからは飲み会の席など、人の集まりでは言うことを考えているうちに会話のテンポについていけなかったり、「こんな発言は程度が低いと思われるだろうな」と自分で決めつけて何も言わなかったり、そもそも人の話を聞いているだけというのがハッキリ言って楽で、自分は話をするより聞く方が好きで向いているんだと勝手に納得してさえいました。今思えば集団コミュ障だった自分を正当化し、無意味な壁を作っていただけなのですが、「正当化の罠」にまんまと嵌っていた訳です(正当化の罠については過去記事:あなたもはまっているかもしれない「正当化の罠」 - 半可通素人をご参照)。
 

◆転機となった一言

   そんなタチだった私は大学で経済的な理由から寮に入りました。私が入った寮は昔から学生自治の伝統がある所で、アパートなんかとは違う、生活空間のほとんどを共有する「文字通りの共同生活」を営んでいます。そこでは当然のように他人と関わることが増え、いわば「毎日が修学旅行の旅館状態」だった訳です。普段から何人かで部屋で話したり、飲み会の頻度も高い。また自治寮だったため、自分達の生活に関わることを話し合いで自主的に決めていたので私の苦手な人の集まりだらけでした。入寮した当時の私はまだ苦手意識を脱却できず、人の輪の中で大人しくちょこんと座り、その場が終われば「ああ今日も何も喋れなかったな」と自己嫌悪に陥っているような根暗人間な有様。
 
   そうした日々が続いていたある時、私はとある先輩に言われました。「何も話さなければそこにいないのと一緒だ」と。
 
   これはまさに言われた通り、ぐうの音も出ない指摘でガツンと殴られたような衝撃を受けました。そう、まさに私はそこにいながらにして存在していなかったのです。生きながらにして死んでいるのと等しい状態。これではいけない。この一言で強烈な危機感に襲われた私は「何でもいいから一言発言しよう。初めからまともな発言ができるなんて高望みはヤメだ。」という考えに改めました。
 

◆運が良かったのだと思う

   未だに苦手意識が抜けた気はしませんが、それでも人の集まりではまずは一言、それも早い段階で発言するようにしています。当たり前ですが、人の考えはテレパシーでもできない限り言葉にして発しないと相手に伝わりません。そういう意味では「言葉も発せられないと存在しないのと一緒」と言えます。できるできないは別としても、話そうと意識し少しずつでも行動に移すだけでその後の変化は大きなものがありました。人は人にぶつかり磨かれないと偏狭で傲慢な独りよがりの成長しか望めません。
   思えば大学生という、失敗してもやり直しがきく人生最後のモラトリアムの時期に根本的な指摘をしてもらい、私は運が良かったのだと思います。仮定の話でしかありませんが、人に大きく関わらなければ変わらなかったであろう自分の考えを思う時、とても恵まれていたなと思う次第です。
 
 
   思わず自分語りをしてしまいましたが、以下のニュースに触れたことで想起されたことでもあります。

   寮という施設は廉価な居住空間を提供することで以って学生の勉学に資するというのが第一の存在意義ですが、そこには「共同生活を送ることによる教育的効果」という、副次的ですが当事者にとっては人生において非常に重要な機会を得られる可能性のある環境を同時に有しています。とかく築年数とか定員に対する充足率などハード面が問題に挙げられますが、以前の電子書籍の記事(巷でよく言う「電子書籍に押され気味の紙媒体」を擁護する - 半可通素人)でも取り上げたような目に見えないソフト面での価値といったものを、ましてや教育機関である大学が疎かにしてはいけないと考えます。
 
   確かに古い寮は汚く、学生自治など時代に合わない古びた価値観であったり偏った思想を育てやすいなどの指摘もあるでしょう。私が寮に住んでいたという贔屓目もあるはずです。しかし、「昔からある伝統(この場合は寮生活や学生自治)が続いているのは続いているだけの理由がある。そしてその理由というのは表面的には見えず、自分の頭で考えないと見えてこない。」というのが偽らざる実感であり、それが現代において大きく毀損されていっているような危惧を感じます。
 
   お子さんがいる方は、子供を寮などの共同生活の場に放り込むと一皮も二皮もむけるのでオススメですよ。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」と言いますので、可愛い子に旅をさせてみてはいかがでしょうか。と何故か寮生活のススメをして終わります。