半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

自分起点の英語学習という発想

   随分とご無沙汰してしまいました。

   前回の記事の続きを書こうと思います。今更かよ!という突っ込みは甘んじて受けます。
だいぶ日が経っているので記憶が薄れていますが…。



◆留学指導者の講演

   東進ハイスクール安河内哲也氏に続き、留学指導を手掛けているアゴス・ジャパンという予備校の代表取締役である横山匡氏のお話がありました。



   まずは、何故英語を学ぶのか?という問いかけから。
人によって理由は様々かと思います。学生の頃は卒業、受験のため、社会に出れば仕事で必要、海外の人とコミュニケーションしたい、日本だけでなく世界のニュースを知りたい、など…。

   学生の頃はとかく受け身で後ろ向きな、そして社会に出てからもどこか義務感のような面が残りがちな英語の勉強ですが、横山氏曰く、英語を学ぶのは「好きなところで好きなことができる可能性が少し広がる」から、だそうです。
   これには一理あります。英語を話せれば自分の居場所を日本の外に広げることができます。場所が広がれば、自分の好きなことができるチャンスも広がるでしょう。自分の好きなものを探し、出会い、目指し、近づくという過程を現実のものにするために英語が役に立つという発想です。自分起点の能動的な動機に基づく学習。楽しさや夢がないと人間なかなか物事が続かないものです。

◆日本と海外の違い

   上記に関連して、日本語の「教育」と英語の「education」という言葉について、語源から比較した発想の違いという話題。教育は読んで字の如く、「教え育てる」からきています。対してeducationは「内から引き出す」という意味からきているそうです。まさに日本と海外における教育方針の違いをそのまま指しているかのような違いに、成る程と思わされます。
   さらにこれは定食とビュッフェの関係に例えられます。予め食べるものを決められたおあつらえ向きの定食と、自分で好きなものを選択し組み合わせを作るビュッフェ。こうして身近なもので例えられると分かり易いし興味深いですね。

   そして重要なのは、どちらが良い悪いではなく、それぞれが持っているもの、持っていないものの両方を見るということです。人はとかく自分に無いものを求めて無いものねだりをしてしまいますが、既に持っているものの価値も踏まえたうえで足りないものを埋める、あるいは補うという視点を持ちたいです。でないといつまでも終わらない自分探しの旅に彷徨うことになりそうですので。

グローバル化とは?

   いわゆる「グローバル化」についての考え方も参考になりました。昨今の世の中はグローバル化が声高に叫ばれ、私達はしょっちゅうその見えない圧力に弄ばれがちです。しかしあくまで「私」という人間が世界をどう捉え、対処していくかが問題であり、世界のグローバル化が先に置かれる訳ではありません。従って、「私」の可能性を広げるために自身のグローバル化を先に考えるべきであって、その結果世界がグローバル化するというのが順番でしょう。生き方は他人に強制されるのではなく自分で決めるというのが本質のはずです。意訳するとこんな感じでしたが、これも成る程といったところです。
   根底にあるのはやはり自分起点ということでしょう。海外に行けばこの発想は当たり前のように思われます。

   その他色々話題はありましたが…端折ります。概念的な話が多く、では具体的に何をすればいいの?という感想が聞かれそうですが、そこについてもヒントがありました。それは、「将来なりたい自分を妄想すること」、そして「明日それができないのは何故か?を考えること」です。そうすれば今の自分に足りないものが見えてきて、それを埋めるために何をすればいいのかが見えてくるでしょう。妄想力万歳‼︎
   お話の中で、「The best way to predict your future is to create it.」というかの有名なドラッカー氏の言葉を引用されていましたが、1つの真理でしょう。


   …さて長いことブログ更新をサボってしまいました。理由は沢山挙げられますが、書かなかったという事実に変わりはありません。これからぼちぼち再開していきたいところです。困るのは書かないとすぐ文章力が落ちること。サイヤ人は瀕死の状態から復活すると驚くべきパワーアップを果たしますが、文章力は瀕死になると落ちる一方で、むしろ書き続けないと維持すらされません。サイヤ人のようにはいきませんね。またゼロからのスタートという気持ちでいこうと思います。

   というわけで(?)メリークリスマス!