半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

あなたは見えない杭に繋がれていませんか?

   またもやらかしました。ブログ放置。


   このままでは2016年は1月に3記事、7月にも3記事、以上!で終わってしまいます。それではブログを開設している意味合いも極薄です。遅れを取り戻す、などとても言えない体たらくですが、書かないことには始まらず。書かない恥よりも書く恥を?という心持ちで更新します。

 

   毎度の手慣らしで抽象的な内容をお届けしますが、人は知らないうちに自分の可能性を限定しているかも?という話。

 

possibilities

 

 ◆インドの象の寓話

   象の国として有名なインド。そのインドでは、象を飼うにあたって足をロープで杭に繋いでおくそうです。象の大きな力をもってすれば、そんな杭などいとも簡単に引っこ抜いて逃げ出すことができますが、彼らはそれをしません。何故か?


   そのからくりはこうです。象たちは子供の頃から杭に繋がれています。子象の力では杭を抜くことができないので、象は次第に自分の力では杭を抜くことが不可能だと認識します。そしてそのまま大人になるので、杭を抜く力があるにも関わらず自分には杭を抜くことができないと思い込んでいるのです。

 

◆自分も杭に繋がれていないか?

   この話は大変示唆に富んでいます。転じれば同じようなことが人間にも言えるのではないでしょうか?子供の頃に「自分には不可能だ」と思い込んだ経験が、今も自身を規定してしまい、可能性を限定してしまっているかもしれません。本当はできる力がついているにも関わらず…。もしくは何かを始める、挑戦しようとする時に周囲に言われる「そんなの無理だよ」「それ大変じゃない?やめときなよ」などの言葉。これが芽生え始めたいわば子供である自分の動機にくさびを打ち、踏み出すことを止めさせる…。その動機を育てれば大きく花開くかもしれないにも関わらず。

 

   うろ覚えですが、どこかで「子供にはその子の可能性を広げるうえで『根拠の無い自信』が重要で、それは親が与えてあげることでしか育たない」というようなことを聞いたことがあります。今回の話を書いていて、共通する部分があるなとふと頭に浮かんできました。

 

   子供の頃にどのような環境にあったか、どのような言葉をかけられて育ったか。それらが考える以上に自分を縛っているという構造があります。人の認識、思考を話題にすると教育というのはつくづく重要だなと思います。日本においてはほぼ皆が教育を受けているので一家言を持っており、教育という話題は議論の俎上に載りやすいです。

 

   しかし人は多様であり、個々人の気質や振る舞いも異なるので、これをすれば正解!のような画一的な答えが存在しないという側面を持ちます。従ってそれこそ受験特化型詰め込み教育を受けてきた私達は対応が分からず、しばしば何が重要なのかが見過ごされます。そして手段と目的が混同されたような話になり、しわ寄せは現場に押し付けられ、現場は考える余裕もなく目の前のことに追われただ疲弊していく、といったことが繰り返されているように感じられます。

 

   日本は比較すると天然資源に乏しく、国として他国に相対するにあたっては人こそが力の源泉を構成する要素のはずです。その人を育てることをせずに他国にカネをばら撒いているだけでは、自ら衰退の道を進んでいることになります。この国の舵取りをしている人達はどうも目の前にぶら下がった人参に夢中で、知ってか知らずか下り坂を底に向かって勢いよく走っていることに気が付かないご様子です。乗ってる人達も多くは見て見ぬふり。(むしろ人参に食いつく人しか舵取りをやらせてもらえないような構造ががっちり組まれいる、という方が実態に即した捉え方かもしれません。)賢く行動力のある人はきちんと行き先を見ていて、さっさと他に乗り換えてしまいます。


   …少々筆が走り過ぎました。

 

Elephants

 

◆杭なんて引っこ抜いちゃえば?

   大人になった今、見えない杭に繋がれて一定の範囲でしか動いていない、ということがないでしょうか?時には杭を抜いて大きく踏み出そうとすることも必要な局面が人生にはある、という風に考えています。
   決断に迷った時、先行きが不透明で二の足を踏んでいる時、この話が何かの参考になれば幸いです。

 

   おまけ:象についての話はこちらもどうぞ