半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

勉強するっていうことはノリが悪くてキモくなること

 「勉強の哲学」。書名を見ただけではピンときません。むしろ勉強と哲学の結びつきって何?とか、来たるべきバカって何のこと?というのが頭に浮かぶので訳が分かりません。この第一印象だけで食わず嫌いされそうで損していそうな書名です。しかし中身を読み込むと示唆に富んでいる。そんな本だと感じます。

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 

■ 勉強する=ノリが悪くなる

 「東大・京大でいま1番読まれている本!」と帯に大きくアピールされていますが、気鋭の哲学者と呼ばれる千葉雅也氏が「深い」勉強について、その原理と実践を説いた本です。

 「勉強」と一口に言っても実は広い範囲を含んだ言葉で、人によってそのイメージは異なります。試験に備えるなど必要に迫られてだったり、自分の知的好奇心を満たすためだったり、知見を広めて自己を向上させるためだったり…。そんな勉強について、著者は深く勉強するというのは、ノリが悪くなると説明します。どういうことでしょうか?

 深い勉強とはこれまでと同じ自分に新しい知識やスキルが付け加わる、という勉強ではなく、自身の根本に作用するような勉強のことを言います。人は誰しも周囲の環境に合わせて生きています。つまり、周囲の環境、その場のノリに合わせて動いていると言えます。そこでは「こうするものだ」という無意識的な共通項が共有されています。その縛りは思いの外強いものです。

 深く勉強するというのは、この「こうするものだ」に疑いを向けたり、あるいは全く異なる「こうするものだ」を打ち立てたりすることで自身を破壊するような勉強です。従って当然周囲から浮く、つまりノリが悪くなるのです。そうすることでそれまで自分のいた環境から自由になり、新たな環境に移ることができます。そして人は環境から完全に自由になって生きることはできませんから、移った先の環境ではその環境のノリを身につけることになります。つまり勉強とは、別のノリへの引っ越しであると著者は語ります。ちなみに自己啓発界隈では、成長するためにはコンフォートゾーンから抜け出す必要があるとよく言います。コンフォートゾーン、つまりそれまで自分のいた心地良い環境から敢えて居心地の悪い環境に移ることで意識無意識の変革を図る訳です。これもノリの引っ越しをしていると言えますね。

 

■ 深く勉強する人=キモい人

 先程出てきた、「こうするものだ」という無意識的なルールは言語によって共有されています。つまり自分は言語によって環境のノリに乗っ取られている、と捉えることができます。考えてみれば自分の属する集団の言葉遣いというのは似てくるものです。深く勉強する人は、この「人は言語というフィルターを通して現実と向き合っている」という構造を踏まえ、言語を現実に密着したものではなくただ言語を言語として玩具のように使うことで環境から自由になることができます。ちょっと分かり辛いですが、その場にノった言語の使用ではなく、第三者的な自己を客観視したような言語の使い方です。そのような言葉の使用は、環境から浮くような語りです。言い換えれば「キモい」語りだと言えます。深く勉強する人は、言語がキモくなっているために、環境にフィットしない人になります。そうすることで環境から自由になろうとするのです。

 

■ こんな感じで

 非常にざっくりとかいつまんだので全く上手く要約できている感じがしませんが、原理としてこのような感じのことが書いてあります。勉強というフワッとした概念を、ノリやキモいと言った現代風の語り口で説明しているので堅苦しい専門書を読むよりは取っ付きやすくなっています。実際にはフランス現代思想の研究を背景に詳述されているので、良く読まないと理解が追いつかないようなところもありますが、勉強に対する認識を新たにすることができます。また原理編で理論を展開した後に実践編として具体的な勉強の方法が書かれているので、単なる概念論だけではなく実際に役立つ知識も得ることができます。古くは外山滋比古氏による「思考の整理学」という不朽の名著がありますが、現代版の思考ガイドとして、興味を持った方は手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

 哲学とは「利害や感情を排して徹底的に本質は何かを追求するもの」だと思っているので、本書に冠せられた「勉強の哲学」とはまさに勉強とは何かを徹底的に追求することだと、読後に個人的に腑に落ちました。

  

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