半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

「育休」なんて呼ぶから社畜の発想から抜け出せない

■ 言葉の刷り込みを考える

   ちょうど1年程前に「家族サービス」という言葉について以下の記事を書きました。

 

   家族という利害関係の無い相手に対して、サービスという利害を想起させる行為をくっつけることに対して異をとなえた訳です。普段何気無く使っている言葉から、その前提としているものを無意識下に刷り込まれていることがあるので気を付けたいところですね。

   見回してみれば、こうした例は他にも散見されます。昨今、「待機児童問題」「保育園落ちた」「ワンオペ育児」「イクメン」だのといった子育てに関する言葉をそこかしこで見たり聞いたりしますが、「育休」という言葉も広く世間に認知されるようになったものの一つです。子供が生まれて実際に育休を取得したことがあったり、今後するつもりだという方もいらっしゃるかもしれません。

 

■「育休」という言葉にまつわる息苦しさ

   この育休ですが、一般には「育児休業」の略称として使われ、育児休業は法律(育児休業、介護休業等育児または家族介護を行う労働者の福祉に関する法律)に定められた、「子を養育する労働者が法律に基づいて取得できる休業」を言います。これとは別に、「育児休暇」の略称として育休が用いられたり、そもそも「育休=育児休暇」と思われている場合もあったりしますが、育児休暇は法律で定められた制度ではなく、育児休業が取得できない労働者や、育児休業と合わせて利用できるものとして企業ごとに定められているものです。

   こうした背景から、広く「育休=休暇」のようなイメージで受け止められており、周りの視線は「大手を振って休めて良いよね」といったものになりがちですし、取得する本人もそんな空気を忖度し後ろめたい気持ちを抱えることになります。しかし育児経験者に聞いてみてください。聞けば実際には休暇なんてとんでもなく、2〜3時間おきの授乳、頻繁なオムツ替え、容赦無い夜泣き、目を離せばせがまれる抱っこなどで時期によりますがほぼ寝ても覚めても対応を迫られるのが実態です。ある意味仕事より余程きついと感じる人もいると思います。そんな実情、経験してみないと分からないのですが、「仕事に穴開けやがって」という周りの目は有形無形の圧力となって子供を抱えた当人を追い詰めます。日本では特に男性において育休の取得率が低いのが現状ですが、それにはこうした周囲の認識、日本人お得意の同調圧力が一因となっていないでしょうか。また育休の取得有無に関わらず、子供を持てば時短勤務を使ったり、自由に残業するといったことが難しくなります。この国では育児は女性がするものという意識がまだまだ根強く、育児と仕事を抱えた母親がその両立に苦しみ疲弊する状況に追い込まれているのです。それなのに仕事が十分にできないと見做されて待遇が以前より悪くなったり、責任ある仕事が回されなかったり昇進昇格が難しくなったりといった仕打ちを受ける場合すらあります。(これをマミートラックに乗せられると言います。)

 

社畜の発想から抜け出すべし

   そこで提案です。「育児休業」なんて言葉を使うから休暇のように捉われてしまい、実態に即していないのです。ここには育児のために仕事を犠牲にするという、仕事>家庭の考え方が前提にあります。冒頭に述べた「家族サービス」と同じ構造で、本人も周囲も仕事を人生の中心に据える社畜の発想に導かれて職場に無用な軋轢を生み出してしまいます。ではなんとするか?

   ここはひとつ発想を転換して「育児在宅」や「育児研修」なんて呼び方に変えてみてはどうでしょうか。育児に専念することは会社の業務をしない訳ですから休業に間違いは無いのですが、見方を変えてみれば育児は1人の人間という社会にとって必要不可欠な構成員を育てる大事業なのです。社会に対する責任という意味では会社の業務に匹敵するどころか、それ以上に大きいものがあります。そのために在宅してその責務を果たすのですから、「育児在宅」と呼んでみても大外れではないでしょう(在宅勤務の超拡大解釈とイメージしてもらえれば)。

   また、育児は絶え間なく押し寄せてくる子供の要望を捌き、掃除炊事洗濯などの家事も捌き、自分のことをする時間も捻出し、と時間管理やタスク管理などの能力が鍛えられる側面があります。いわゆるマネジメントというやつです。翻せば、仕事に役立つ能力を育休期間で向上できる効果が見込まれるのです。よって業務は行いませんが、業務に活かせるスキルを身に付ける研修期間として家にいるのだと思ってしまえば良いのです。

 

■ 言葉に敏感に

  これらの呼び方も、結局は仕事につながっているので仕事>家庭の価値観から抜け出せていないと指摘されるかもしれません。しかしいきなり仕事<家庭という価値観の転覆を持ち込んでも、社畜発想に染められてしまった我々には受け入れがたいものとして映ってしまいます。よって仕事→家庭にシフトするくらいの塩梅で意識改革を図るというのが良いのかなと考える次第です。

   私達が使う言葉は私達が考える以上に思考を縛ります。日本には昔から「言霊」という概念があったり、「千と千尋の神隠し」や「ゲド戦記」といったジブリ作品の中にも、「まことの名前を知ることで相手を支配する」という描写が出てきます。知らないうちに支配されないように、言葉に意識的にありたいものです。

 

Slave

 

勉強するっていうことはノリが悪くてキモくなること

 「勉強の哲学」。書名を見ただけではピンときません。むしろ勉強と哲学の結びつきって何?とか、来たるべきバカって何のこと?というのが頭に浮かぶので訳が分かりません。この第一印象だけで食わず嫌いされそうで損していそうな書名です。しかし中身を読み込むと示唆に富んでいる。そんな本だと感じます。

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 
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結婚式に出てくる外国人神父は大体が偽者でそれは多分憲法が変わったせい

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■ 夢見る結婚式の夢のない裏側

   人生のうちある時期になると、周囲の友人知人の結婚が重なり高い頻度で結婚式に出席することになるという話をよく聞きます。ご祝儀が重なりいわゆる寿貧乏と言われる事態に陥ることも…。そんな嬉し哀し?の結婚式事情ですが、ウェディングドレスは女性の憧れということもあり、日本においては多くの人がキリスト教の教会でキリスト教式の結婚式を挙げます。無宗教が多いとされる日本人も、この時ばかりは神に生涯の愛を誓う訳です。ここでは結婚式を執り行う中心的な役割として神父がその任を担いますが、大抵は外国人の神父がしかつめらしく登場し、英語や片言の日本語で式を進行して雰囲気を嫌が応にも盛り上げます。

   しかし身も蓋もない話をすると、実は結婚式場に併設されている教会の場合、そこは正式な教会ではなく、従って神父もアルバイトのお雇い外国人、つまり偽者の場合が多いということをご存知でしょうか?女の一生の夢を壊すのか⁉︎野暮なことを言うな!と怒られそうですが、多くの人がキリスト教と思っている結婚式は実際はキリスト教だったというなんともトホホな裏側だった、ということです。私もご多分に洩れずあの神父は本物と思っていたクチなので、これを知った時は何だか落胆しました。

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「うさぎと亀」に学ぶ「とっつきやすさ」という価値

   誰もが知っているあのお話について。

Turtle dove?

 

■ 意外な題名

   「うさぎと亀」という有名な童話があります。説明するまでもないですが、うさぎさんが亀さんと競走をすることになり、鈍足の亀さんに比べて当然足が速く歴然と差をつけたうさぎさんが油断をして昼寝をしたら…というお話です。
   己の能力を過信することなかれ、コツコツ努力すれば結果はついてくる、努力に勝る天才なし、などの教訓が込められた誰でも知っている寓話ですが、実はこのお話、明治時代の教科書には「油断大敵」という題名で載っていたことをご存知でしょうか?私も知らなかったのですが、ひょんなことから教えてもらい思わず「へ〜(古い)」となりました。

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「家族サービス」という社畜養成用語

Service

 

   世間は5月の大型連休の最終日。休みが終わってしまう!という阿鼻叫喚の声がそこかしこで聞こえてきそうです。

 

■「家族サービス」に感じる違和感

   連休や休日と言うと、よくこんな会話が交わされると思います。「休みの間は何をされるんですか?」「いや〜家族サービスだよ。」「ああ家庭を持つと大変ですね。」 

   この「家族サービス」という言葉、広く世間に認知された言葉であり無意識に使っていると思います。しかしふと考えてみると、一つ屋根の下で暮らす自分にとって最も身近な間柄である家族が、何故「〜してあげる」という「サービス」の対象になっているのでしょうか?私には少し違和感の感じられる組み合わせです。蛇足ですが、確か政治経済の授業で消費は財とサービスとに分けられると習ったような記憶がありますね。

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