半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

「うさぎと亀」に学ぶ「とっつきやすさ」という価値

   誰もが知っているあのお話について。

Turtle dove?

 

▶︎意外な題名

   「うさぎと亀」という有名な童話があります。説明するまでもないですが、うさぎさんが亀さんと競走をすることになり、鈍足の亀さんに比べて当然足が速く歴然と差をつけたうさぎさんが油断をして昼寝をしたら…というお話です。
   己の能力を過信することなかれ、コツコツ努力すれば結果はついてくる、努力に勝る天才なし、などの教訓が込められた誰でも知っている寓話ですが、実はこのお話、明治時代の教科書には「油断大敵」という題名で載っていたことをご存知でしょうか?私も知らなかったのですが、ひょんなことから教えてもらい思わず「へ〜(古い)」となりました。

 

▶︎理由を考えてみる

   いつの間にやら題名が変えられたのでしょうか?仮にそのまま「油断大敵」という題名が現在も用いられていた場合を想像してみてください。大人なら話の内容を知れば題名との関連付けが容易にでき、納得感もあります。しかしこれは子供向けの童話ですから、「油断大敵」と大仰な題名を銘打たれてもそもそも「油断大敵ってなに?」となりそうです。また見方を変えれば、油断大敵とはあくまでうさぎ視点から見た教訓であって、亀からすれば先に挙げたように努力をすることの大切さが教訓になるわけです。亀視点から題名をつけるとすれば…四字熟語にこだわるとして「努力礼賛」とでもなるでしょうか。ますます子供には分かりません。

   一方の「うさぎと亀」。何のひねりもなく平凡そのものですが、これほど分かりやすい題名はないでしょう。今風?に言うとユーザーフレンドリーを重視したマーケティングの結果、最もユーザーにリーチするキャッチーなコピーとしてコミットできるタイトル、ということになりそうです(ああ意識高い)。子供にとってのとっつきやすさ、親しみやすさを考えた親心がこの背景にあるのかもしれません。他にも時代の経過に伴う価値観の変化が影響しているかもしれません。四字熟語じゃ堅苦しい、というような。

 

▶︎話を広げれば…

   題名が変遷した経緯は分かりませんが、定番の昔話もこうした逸話を知るとまた違った楽しみ方ができそうです。転ずれば巷のサービスや自身の仕事なども相手に届けてなんぼですから、こうしたとっつきやすさを考えた仕掛けというのを考える価値はあると言えます。ブログのタイトルも然り。

 

La tortuga y La liebre

 

 

「家族サービス」という社畜養成ワード

Service

 

   世間は5月の大型連休の最終日。休みが終わってしまう!という阿鼻叫喚の声がそこかしこで聞こえてきそうです。

 

▶︎「家族サービス」に感じる違和感

   連休や休日と言うと、よくこんな会話が交わされると思います。「休みの間は何をされるんですか?」「いや〜家族サービスだよ。」「ああ家庭を持つと大変ですね。」 

   この「家族サービス」という言葉、広く世間に認知された言葉であり無意識に使っていると思います。しかしふと考えてみると、一つ屋根の下で暮らす自分にとって最も身近な間柄である家族が、何故「〜してあげる」という「サービス」の対象になっているのでしょうか?私には少し違和感の感じられる組み合わせです。蛇足ですが、確か政治経済の授業で消費は財とサービスとに分けられると習ったような記憶がありますね。

 

   ここで感じる違和感に関しては、前提として「家族に対するスタンス」と「サービスという言葉が何を指すと捉えているか」が問題になります。簡単には、家族は対等で利害関係の無い存在であるはず(少なくとも、そう思いたい)です。そしてサービスとは、何らかの奉仕行為を相手に対して行い、その対価を得るというイメージです。ここにはサービスを提供する側と、それを受け対価を支払う側という利害関係が生じます。

   つまり私の感じた違和感を紐解くと、「利害関係の無い家族に対して利害の生じるサービスを行うという矛盾」という構造に辿り着きます。しかしここで無償の奉仕もあるでしょ、という突っ込みどころがあることに気が付きました。サービスという言葉に対する解釈が経済活動に偏っているきらいがありますが、話をここで終わらせたくないので多少無理筋ですが続けます。

 

▶︎背後に透ける日本の問題

   家族サービス、つまり家族に対してサービスをするという状況についてもう少し掘り下げると、平日は仕事仕事で忙しく帰りも遅いので家庭はないがしろ、従って休日は家族に対して自分の時間をサービスしないとバランスが取れないし家族との関係が…という日本の給与所得者の姿が浮かんできます。近頃盛んに取り沙汰されている長時間労働という日本が抱える問題点がこの言葉の背景にあるのです。本来は企業に対して労働力をサービスして給与という対価を得ているのに、仕事が自分の中で主となり、家庭が従として「サービスしてあげないと」と思わせる矛盾した心理状態。

   前回の記事(「車が突っ込んだ事故」と先入観 - 半可通素人の漂流)で先入観について取り上げ、先入観が作られたものである場合もあるよという話をしました。この「家族サービス」という一見カジュアルな言葉も、上記のような仕事>家庭という価値観の転覆を無意識下に刷り込ませる社畜養成ワードなんじゃないの?という気すらしてきます。この言葉を考えたのが広告代理店とかだとしたら恐ろしいですね。茹でガエルにはなりたくないものです。

 

   かつての高度経済成長期には、家庭を犠牲にして仕事に邁進することで社会全体が成長していったという経緯がありますが、もはや過去の成功体験は通用しません。あらゆる制度疲労を起こしている日本社会を象徴するような言葉として、多少の飛躍はありつつも家族サービスという言葉を社畜養成ワードとまで形容して槍玉にあげました。

   あなたはどう感じるでしょうか?

 

The businessman (aka Today it's been a long tiring day at work)

 

 

「車が突っ込んだ事故」と先入観

(2017/05/06 加筆修正しました。)

 

▶︎目を引く画像を見て

   Twitterでふと目にした以下の画像。

 

 

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何かを選ぶ、というのはそれ以外を捨てることだよ (転職話その2、だけどその1も含めました)

   前回書いた転職話(転職って遠い世界のことだと思ってた人が転職してみた話(その1) - 半可通素人の徒然)の続き…ですが、怠慢により前回から3ヶ月も間を空けてしまったので、もはや続きもあったものではありません。読んでいただいた方も何を書いていたか忘れてしまっているでしょう。自分でもああこんなこと書いたっけ、という次第です。従って改めて前回の内容も含めて再構成し、1つの記事として書き直すことにします。

 

Choices

 

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転職って遠い世界のことだと思ってた人が転職してみた話(その1)

   随分と前にしたネタ振りの回収を今更します。

Clock - career

 

   7月に一度ブログ更新を復活しかけた時に触れましたが、実は今年の初頭に転職活動を始め、しばしああだこうだした後に転職先が内定、6月に転職をした、という個人的に大きな変化がありました。それからもう半年以上が経つわけですが、積もる月日に記憶も薄れつつあるので振り返りも兼ねて事のいきさつを記すことにします。

 

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