教育は人の問題 ≦ 環境の問題だった?(その5)
◆教育問題は教師のせいばかりじゃない
これまで述べてきた人間の精神的低年齢化、上下関係の形骸化について、前回も書いた通り高校までの教育が大きく影響しています。
高校までの教育の質が低下していった結果、人間的に未熟な人が増加します。その世代が親になり、子を育てる立場、教育を施す立場になった際、自分の知っている以上のことは教えられないので必然的に子供が受ける教育の質も低下していきます。こうして精神的低年齢化と上下関係の形骸化が再生産され拡大されていくこととなります。
教育の質の低下が叫ばれて久しいですが、教育現場では何が起こっているのでしょうか?私は上記で述べたように、親と教師双方のレベルが下がったことによるダブルパンチで低下に拍車をかけている状態になっているのではと想像していたのですが、友人の指摘は異なるものでした。
それは「親の低年齢化は確かに進んでいるけど、教師のレベルは良くも悪くも変わっていないのではないか」というものです。
これは私にとって意外だったのですが、詳しく聞いてみるとかいつまんで以下のようなものでした。
- 教師は自らのスタイルで教育がしたくてもお上からの縛りが厳しくて主体的にできない
- よってレベルの良し悪しはそもそも表面化しにくい
- 更に対処法もよく分からないモンスターペアレントやクレーマーの増加への対処に追われている
- 質が低下したように見えるのは教育方針の改悪とゆとり教育でもともと高くなかった一部の教師のレベルが露呈したってところ
教師はレベルが云々以前にお上からあれもこれも決められているため、良くも悪くもレベルが一定に保たれているというのは外野からは分からない新たな見方です。そこへきてモンスターペアレントやクレーマーの増加となるともう踏んだり蹴ったりでしょう。手足を縛られ、サンドバッグ状態で吊るされているようなものです。
人は何か問題があった時に、しばしばそれは誰々が悪いからだ!と「人の問題」にしてしまいがちです。しかし、実はこの教育現場に見られるように、お上のがんじがらめ規制、親からの攻撃に対応せざるをえないなどの「環境の問題」であることが多いのです。
教育の問題を語る時には、この「人間の問題 ≦ 環境の問題」という構図を理解する必要があります。様々な場面で教師が叩かれている昨今ですが、こんな中で子供たちのことを思って現場で日々教育を実践していらっしゃる教師の方々には本当に頭が下がる思いです。
一方で、お上の規制があったから教師のレベルが一定に保たれたという点も確かにあるのでしょう。教育は一貫性と安定性が求められるので、そうした中で規制に守られて戦後の日本人という集団が形成された事実から目を背けることはできません。
しかし戦後上手くいっていたシステムが現在も上手くいくかというと話は異なります。昔の成功体験に縛られて現実を見ない制度設計は現場にしわ寄せがいくばかりです。そして近年は上辺だけのゆとり教育とその撤回などの制度改悪。こうした施策に振り回される教師と子供たちはたまったものではありません。教師の意欲、やりがいの向上のためにもある程度まで教師の裁量を拡大するための制度をもっと議論しても良いのではないでしょうか。
人間の問題に見えて実は環境の問題である、というのは様々なことに応用が効くのでこの視点は重要です。