半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

教育は人の問題 ≦ 環境の問題だった?(その6)

 教育問題の背景にはお上の規制という環境要因があるという話をしましたが、なぜそのようながんじがらめの縛りが生じているのでしょうか?理由について自分なりに考えてみます。
 
 ひとつは前回述べた教育の一貫性と安定性を担保するという目的があるのでしょう。もっともらしい理由です。しかしそれが度を越してしまうと押し付けの強制になります。何事にも振れ幅や遊びの部分というものがないと人は窮屈さを感じ、その中でしか動けないことに対する不満を覚えます。制度を決めコントロールする側にとっては縛ることは管理の強化になるので楽な方向に働きますが、そこに人間的な配慮が欠けてしまっては担い手が消耗するだけの結果になり生産性が下がります。
 

◆見逃せない国外からの働きかけ要因

 そしてはつい内的な条件に目を向けがちですが、外部からの働きかけという要素も忘れてはいけません。具体的には、先の大戦で敗けた日本がアメリカの占領を受け入れ、戦後の制度設計においてアメリカの意向が大きく反映されたという点です。教育においてもそれは例に漏れず、現在に続く教育の基本的な方針はこの大きな枠組みの中で決められました。
 少し前に武士道がブームになりましたが、欧米列強の支配が及ぶ前までの日本人には気高い精神性と他者を尊重する社会性が息付いていたことがうかがい知れます。例えば「逝きし世の面影」という本を読んでみると、江戸時代末期から明治初期に日本を訪れた欧米人が当時の日本人を見て驚いた様子が描写されています。
 

 少し長くなりますが、以下に引用します。

 
「日本は私がこれまで会ったなかで、もっとも好感のもてる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です。私はどんな地位であろうともシナに行くのはごめんですが、日本なら喜んで出かけます」(英人、オリファント
「あらゆる階級の普段着の色は黒かダークブルーで模様は多様だ。だが女は適当に大目に見られており、もちろんその特権を行使して、ずっと明るい色の衣服を着ている。それでも彼女らの趣味がよいので、けばけばしい色は一般に避けられる。」(英人、オズボーン) 
「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったり融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけて感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている」(英女性バード) 
「この民族は笑い上戸で、心の底まで陽気である。日本人ほど愉快になりやすい人種は殆どあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子どものように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。」(仏人、ボーヴォワル) 
「みんな善良な人たちで、私に会うと親愛の情をこめた挨拶をし、子どもたちは真珠色の貝をもってきてくれ、女たちはカゴの中に山のように入れてある海の無気味な小さい怪物を、どう料理したらよいか説明するのに一生懸命になる。根が親切と真心は、日本社会の下層階級全体の特徴である。」(スイス人) 
「日光旅行のさい乗った駕篭かき手は3人いた。そのうち1人が休み、次々と交代するのだが、交代のとき言い合い一つ聞かなかった。交代者が後の番なのに間違って前をかつごうとすると、『これはおれの番じゃない』と一言言う。続いて大笑いとなる。笑いは日本人には馴染みの状態だからである。彼らはその日、ひどい道を十里も駕篭をかつぎ、疲れきっていたのだ。なんと言う人たちだろう。いくぶん荒々しい外観は呈しているものの、行儀は申し分ない。」(仏人ブスケ) 
「人々は楽しく暮らしており、食べたいだけ食べ、着物にも困っていない。それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい。」(米人ハリス) 
「その日の旅程を終えて宿についたとき、馬の革帯がひとつなくなっていた。もう暗くなっていたのに、馬を引いてきた男はそれを探しに一里も引き返し、私は何銭か与えようとしたのを、目的地まで物をきちんと届けるのが自分の責任だと言って拒んだ。」(バード)
「家の女たちは私が暑がっているのを見てしとやかに扇をとりだし、まるまる1時間も私を煽いでくれた。代金を尋ねるといらないと言い、何も受け取ろうとしなかった。」(バード)
「私は東洋のいかなる地域においても、日本ほど飲酒のさかんなところは見たことがない」(スミス主教)
「午後9時を過ぎると、長崎の街頭で見かける成人のおよそ半分が酔っぱらっている」(ポンペ)
「日本にも乞食はいる。とはいえ彼らは、中国におけるように無数にいるとか、餓死線上にあるのを見かけるというような状態にはまだ遠い」(オールコック) 
「江戸庶民の家屋は開けっぴろげである。すべての店の表は開けっぱなしになっていて、なかが見え、うしろにはかならず小さな庭があり、それに家人たちは座ったまま働いたり、遊んだり、朝食、昼食、そのあとの行水、女の家事、はだかの子どもたちの遊戯、男の商取り引きや手細工、なんでも見える」(モース) 
「下層の人々が日本ほど満足そうにしている国はほかにない。日本人の暮らしでは、貧困が暗く悲惨な形であらわになることはあまりない。人々は親切で、進んで人を助けるから、飢えに苦しむのは、どんな階級にも属さず名もしれず、世間の同情にも値しないような人間だけである」(イタリア海軍中佐)  
「日本では自宅のドアに鍵をかけるなど、まったく念頭にも浮かばなかった。われわれの部屋には錠も鍵もなくて、開放されていて、宿所の近辺に群がっている付き添いの人たちは誰でも侵入できる。またわれわれの部屋には誰でもほしくなるようなイギリスの珍奇な品をいつも並べておくが、それでもいまだかつて、まったくとるに足らないような品物でさえ、何かがなくなったとこぼしたためしがない」(オリファント) 
「錠をかけない部屋の机の上に小銭を置いたままにするのだが、日本人の子どもや召し使いは1日に数十回出入りしても、触ってはならないものには決して手を触れない」(モース) 
「ある車夫が苦労して坂を登っていると、別な車夫がかけつけて後ろから押してやる光景をしばしば見かけた。お辞儀とありがとうが彼の報酬だった。これは互いに見知らぬ車夫どうしで起こることなのである。ある宣教師が、車夫からうやうやしく声をかけられ、様子が気に入って家まで車にのり、さて財布をとりだしたところ、車夫は「お気になさらずに」と言った。この車夫は友だちの病気を宣教師が親切に治してくれたから、ささやかなお礼をしたかったのだというと、お辞儀をして立ち去った」(ディクソン) 
「(明治22年)銀座の街を歩いている人ほど幸せそうな人々はどこにもいない。しゃべり笑いながら彼らは行く。人夫は荷物のバランスをとりながら鼻歌を歌いながら進む。『おはよう』『さよなら』とかいうきれいな挨拶が空気を満たす。この小さい人々が街頭でおたがいに交わす深いお辞儀は、優雅さと明白な善意を示していて魅力的だ。一介の人夫でさえ、知り合いと出あったり、客と取り決めしたりするときは、一流の行儀作法の先生みたいな様子で身をかがめる」(アーノルド)

 

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

 

 

 欧米の人々は当時の日本人の高い民度に驚き、そして同時に脅威を感じたことでしょう。何を野蛮な、と思われるかもしれませんが、諸外国と長い歴史の中で対峙してきた欧米の、しかも日本にまでやって来ている人々の思考を考えると自然なことです。

 脅威を感じた欧米列強は戦争で日本を破りその脅威を後退させることに成功します。そして戦後の日本社会の立て直しにおいてアメリカがその主体に入り込む中で、日本が再び脅威となることのないよう、横並びでお上に従う従順な国民を育てることを制度設計で方向付けたという見方が成り立ちます。

 

 国家とは共同体の対峙においてその存在が規定されるため、特に敗戦した日本にとってはこうした諸外国との関係の中で国内の制度が形作られたという側面も見逃すことはできません。

 確かに戦後の制度設計の中で日本は高度経済成長を遂げ、経済的に大変豊かになりました。しかし今の教育システムでは主体的に考える人間は育たないと思います。戦前の教育の何たるかは不勉強のため詳しく分かりませんし、軍国主義の反省もあるので勿論手放しに戦前の日本万歳!日本サイコー!などというわけではありません。しかしかつて日本人が持っていたと伝えられる国民性に学ぶところは多いはずです。

 

http://www.flickr.com/photos/56413961@N00/4602784412

photo by JapanDave

 

◆日本人の押し付け精神構造も一役買った

 更に想像を逞しくすると、日本人のいわば「母親と学校に教育を押し付けてきた男の精神構造」がそうした制度を下支えし推進してきたのではと思えてきます。
 子供は社会の宝と言われる通り、かつて子供は社会全体で育てるものでした。子供が外で遊び、近所の人が声を掛け見守るという光景は当たり前に見られたものです。しかし戦後の高度経済成長において「男は仕事、女は家庭」という分業と核家族化が急速に進み、いつしか父は仕事に没頭し子育ては母に任せきりという構図が一般的になりました。そして子供が学校に通う年齢になると、家庭での母親に加えて学校という教育の場が加わりますが、父親不在の構造に変わりはありません。
 
 こうした環境で育ってきた戦後の世代にとって、教育は母親と学校とが担うものであるという構造が意識下に刷り込まれます。これは戦後の復興期から高度経済成長期という社会の大きな変化の中で仕事に身を投じる男にとっては都合の良いものであり、実際にこの仕組みで日本社会は発展を遂げてきました。そうした世代が大人となり制度を維持運営する側になった時、当然自らの育った構造を強化する方向に思考が働きます。こうして「母親と学校に教育を押し付けて当然」な精神構造によってますます学校に対する決まりごとが増え、縛り付けていったという側面もあったのではないかと思います。しかしかつてそれで上手くいっていた制度も、もはや現実から乖離し立ち行かなくなっているのは明白です。
 
 教育に関する問題が議論される時も、教師や母親は散々叩かれるのに不思議と父親はその俎上に上がることが少ないです。この不公平を是正しないことには子供の教育環境は向上しないのではないでしょうか。
 
 

◆結局は人の問題です

こうして見ていくと、教育の問題は「人の問題 ≦ 環境の問題」として見えてきますが、環境を作るのも結局は人です。人の意識が変わり、環境を変えようという動きが生まれないことには問題の所在を探すだけに終わってしまい、何も変わりません。人に関わる限りやはりどこまでも人の問題というのはついて回るのです。重要なのは決定権を持つ人を動かすこと。これが出来れば苦労はしないのですが…。
 
 
   以上長々と教育について語ってきましたが、教育は誰しも受けるものであり身近な存在であるためみんなが語りたがる対象なのでしょう。人は創り創られて人になるのであり、そこに教育が果たす役割は非常に大きいです。現場で奮闘している教師の方々がやり甲斐を持って取り組めるよう、関係各所のお偉様方には現実に即した改善を切に願います。