あなたもはまっているかもしれない「正当化の罠」
「これからもっと健康的な食生活を送ろう。」
誰もがこのような決意を(例えば元旦などに)したことがあるでしょう。
しかし数日もすれば、お腹が空いて棚にあるお菓子に目がいってしまう時が来ます。
そして「昨日はサラダも食べたし、最近ジム通いも始めた。何事もやり過ぎは禁物だ。ちょっとくらい自分にご褒美も必要でしょ。」とお菓子に手が伸びてしまいます。
こうして決意はいとも簡単に破られるのです。
◆正当化の罠
人は例えば自己管理に関する問題について、何かにつけて抜け穴を見つけて易きに流れることを繰り返します。
理由をつけて自己を正当化し、誤魔化すのです。
これを「正当化の罠」と名付けてみましょう。
私は最近よくこの「正当化の罠」について考えます。
まだ間に合うからいいや、これはやっぱり明日やろう、ちょっとくらい手を抜いても問題ないよね…。
自分を正当化する理由はいくつも浮かんできます。
正当化の罠から逃れるためには、目標を明確にし曖昧さを除外することが必要となるでしょう。
冒頭の健康的な食生活なら、「間食は絶対にしない」などです。
しかしこういった目標はガチガチに自分を縛りつけ、感情がついていきません。
どこかで無理が生じ、エネルギーが尽きてしまうでしょう。
正当化の隙を排し、感情も自ら動き出すことを両立した目標は立てられるのか?
私にとってはまだ難しいテーマであり、答えを探し中です。
◆思考停止は怖い
少し前に「いつやるの?今でしょ!」が流行りましたが、これは正当化の罠にはまって自身がやろうと思ったことを今できておらず、後ろめたさを感じている人が多いことのあらわれではないかと解釈することもできます。
現状に満足せず、頭を働かせて考え続ける、そして行動に移していくこと。
テレビを見ていると、「ああテレビって思考停止装置だなあ」と思います。
ボーっと見ている間はあまり考えなくても画面は勝手に進んでいきます。ご丁寧にテロップまでついて手軽に受け取れる情報が日々流されていきます。
流行りの歌手やアイドルなどは、矢継ぎ早に言葉を羅列し曲のリズムも早く、次から次へ展開させることによって受け手に思考させる時間を与えない方向に傾いているように思えるのです。
またTwitterのタイムラインも典型的であり、そこには情報の洪水が常に起こっています。
私はこれらの世の流れについて批判するまでではありません。例えばTwitterでは多くの幅広い情報を得ることができ、いつも勉強させてもらっています。
しかし少なくとも立ち止まって考える必要があるのではないか?と自戒を込めて思っています。
◆サルでもわかる文章を書きたい
なんだかまとまりのないままに書いてしまいました。
もっと言葉を上手く、綺麗に操りたいなという願望がありますが、なかなか難しいです。
文章を書くことで少しでも考えを整理し、思考力を向上させられないか?と思ったこともブログを始めたきっかけの一つであり、日々実践あるのみかな、と考えています。
そして書くうえでは、難しいことでもなるべく易しい言葉で書く、いうなれば「サルでもわかる文章」を書くように心掛けたいです。
そうすることが自分の頭の中にある情報をかみ砕き、自分の側に寄せて思考の中に組み込んでいくことにもつながっていくのかな、と思います。
またブログを読んでくださっている方にとっても、小難しい訳の分からないことがつらつら書かれているよりも、多少は読みやすくなればと願っています。
もちろん難しい言葉を読み書きすることのメリットもあります。
例えば分からない言葉を調べることによって読み手の知識の更新を促すという側面もあるわけです。
幸い今はネットがあるので何でも自分で調べることができます。
どこかで「ネットは世界の図書館」という言葉を見かけました。とてもいい例えだと思い気に入っています。
しかしネット情報は自分でピックするものなので新聞、テレビなどと違って自分の好みのページしか閲覧しないという性質があり、ここで情報の偏りと思考停止に陥らないよう、注意が必要なのは意識しておかなければならないと思います。
分裂勘違い君劇場氏も「ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される」と主張しています。
ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介 - 分裂勘違い君劇場
(上の記事は良書を読め!という内容なのでちょっと強引に結び付けすぎですが…。)
結局最後までまとまりのないままに終わります。
まだまだ修行不足です(´・_・`)