ミニバンに乗るの、やめませんか?-クルマのデザインと街のデザインはつながっている
「デザインする、っていう行為の影響力ってどこまで及ぶんだろう?」
という興味が湧きました。
先日ふと読んで印象に残った記事の紹介をしたいと思います。
詳細は是非記事を読んでいただきたいのですが、概ね以下のようなことについて書かれています。
- クルマは人の暮らしや社会と密接にかかわっており、車道に出れば「公共の風景」の一部になる。
- 日本の戦後の都市デザインは歴史を忘れ新しさにひた走った。そして風景の一部となるクルマのデザインにも「歴史や公共性が欠落して」おり、日本でそれを意識しているデザイナーは皆無に等しい。
- アウディのデザインをみると、デザインに一貫性がある。それはトップの意思が社内に行き渡っておりデザインがぶれないから。
- 日本の場合は派閥同士の争いで方針がぶれたり、経営トップが遠い雲の上の存在になっていて、「自分には関係ない」ととらえている社員が多い。そんなリーダーシップの不在がデザインにも反映されてしまう。
- ミニバンだらけの自動車の風景は美しくないし、かっこよく見えない。クルマに乗っている人間の意思が見えなく、多様性がない。だから、ミニバンに乗るのをやめませんか?
- 日本のクルマメーカーが、従来の企業体質のまま、次世代自動車を出し続けても何の意味もない。
私は自動車関係の業界に勤めているので、クルマに関する情報はつい気になってしまうのですが、『個人として購入して自分の家の駐車場にあるクルマも、ひとたび車道に出て行けば、その姿は「公共の風景」の一部になる。』という指摘についてほとんど考えたこともありません。目からウロコが落ちる思いでした。
クルマとクルマが走る街の風景も、日本では確かに無計画に新しさだけを求めて混沌としているのを感じます。
一方欧州では都市の歴史やあり方を考え、整然とした街づくりをしています。クルマもデザインをみればこのメーカー、というアイデンティティが確立していますよね。
そのことについても記事では触れられており、この点における欧州の考え方については学ぶところが多くありそうです。
ただ日本にも、私がデザインに一貫性があり魅力があるなあと思っているメーカーがあります。
1つはマツダです。
マツダは「魂動(こどう)─SOUL of MOTION」を一貫したデザインテーマにクルマ作りを行っています。
どことなく欧州車を思わせるデザインですね。
もう1つはスバルです。
レガシィも乗ってみたいクルマの一つです。
街中で存在感があります。
これら2つのメーカーですが、共通点があることに気がつきました。
どちらもメーカー独自機構のエンジンを開発しています。
SUBARU : スバルのクルマづくり > テクノロジー > 水平対向エンジン
どちらのメーカーにも独自の技術を突き詰めていく一貫性があり、企業のカラーにぶれがありません。
それがデザインにも思想の底でつながっているかもしれません。
またどちらも規模としては小さいメーカーであり、車種展開が少ないのも一貫性を保っている要因として挙げられるのではないでしょうか。
クルマのデザインと街のデザインがつながっているという話を知って、デザインのさわりだけでも勉強したくなりました。