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半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

森の哲学者は夕暮れ時に飛び立つ、ということ

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 
 更新をすっかり怠っている間も、承認欲求に逆らえない己の弱さゆえちまちまとアクセス数だけは確認していました。新着記事がないにも関わらず、継続的にこのブログにアクセスをいただいております。
ブログ開設当初は1日に数件のアクセス数だったことを思うと大変にありがたいことです。本当にありがとうございます。
今後ともこのブログを宜しくお願いします。
 
 ゆく年くる年の除夜の鐘を聴きながら、自分は煩悩にまみれているなということを思いつつ新年を迎えました。
 
 あと、年末に富山のかぶら寿司という郷土料理をいただき食べたのですが、これがとても美味しくて酒の肴にもぴったりでした。
 
 都内でも、有楽町にある富山館というアンテナショップに売っているので、機会があったら食べてみてください。
ちなみに、鹿の子餅という富山のお菓子も上品で大変美味です。
 

◆フクロウは森の哲学者

 さて年が明けて最初の記事は、これまたこの頃すっかり怠っている哲学について少し書きます。
 
 有象無象の渦巻くこの世の中では、何が真理で何が偽りか、あるいは何が本当に大切な物で何が上辺だけの浅薄な物事かの見極めが必要です。ですが時には現実に押し潰されて行く先を見失い、暗闇に彷徨ってしまうような場合もあります。
そういった時でも、真理を見通す、闇夜でも利くフクロウのような目を持ちたいものです。
そんなことを考えていたら、フクロウは「森の物知り博士」、「森の哲学者」などとして親しまれていることを知りました。
 
 
ギリシャ神話において、フクロウは女神アテーナーの象徴であるとされる。知恵の女神アテーナーの象徴であることから転じて知恵の象徴とされることも多い。民話童話においては、森林の長老や知恵袋の役割としてフクロウがしばしば登場する。

フクロウ - Wikipedia

 
 人は古来からフクロウに知のイメージを抱き、知の探究者として哲学者の像を重ねてきたのでしょう。
 

 ◆ミネルヴァのフクロウという喩え

 哲学とフクロウの関係を表したものとして、「ミネルヴァの梟は暮れ染める黄昏とともに飛翔する (The owl of Minerva first begins her flight with the onset of dusk. )」という有名な言葉があります。
これはヘーゲルの「法の哲学」序論の末尾に書いてある隠喩です。
 
「哲学はもともと、いつも来方が遅すぎるのである。哲学は…現実がその形成過程を完了して、おのれを仕上げたあとで初めて、哲学は時間のなかに現れる」 
「存在するところのものを概念において把握するのが哲学の課題である。…個人にかんしていえば、誰でももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである」   http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1096458985 より引用
 
 こちらのブログ記事にも、ミネルヴァのフクロウについて詳しく書かれており勉強になります。

ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ - 夕暮れのフクロウ
 
「世界はいかにあるべきかを教えることについて、一言言うなら、いずれにせよ、哲学は、そのためにはいつも遅すぎるのである。」という指摘は大変示唆に富んでいます。
 
 私は、哲学とは利害や感情といったものを徹底的に排除し、物事の本質を見定めるものだと思っています。しかし、哲学は現実が先にあり、その後を追うことでしか成り立ちません。ここに哲学の限界があります。
 願わくばミネルヴァのフクロウに夜明けとともに飛び立ってもらい、行く末を案内して欲しいものですが、そんなにムシのいい話はありません。むしろ夜行性で暗闇でもよく見える目を持っているからこそ目が利くのであって、日中は光が強すぎて、現実が定まっていないかのごとく物事が見定められないのかもしれません。
なんだかよく分からなくなってきました。鍛錬が足りません。
 

◆哲学も大事、利害や感情も大事

 前述したように哲学は利害や感情を排し、理詰めで考えます。しかしながら人は理屈では動きません。世の中は「利害」と「感情」の構造です。
 
人間の本質とは、「論理の機械」ではなく、「利害と感情の機械」だと思う。”
 
理屈ばかりを振りかざしていても窮屈な人になってしまうので、私が目指すのは「街場の似非哲学者」です。現実にまみれながら、現場現実現物を見つめ、利害と感情に振り回されながらも哲学の力を借りて本質を見極めつつ、世の中を渡っていきたいです。そのために今年も細々とした歩みながら修行を積もうと思います。何事も勉強です。
 
 利害と感情に関連して、最近ネットで時の人となっている岡田斗司夫氏は、これからは金銭や経済的地位ではなく「いい人」が評価される世の中になっていくと書いています。

 

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

 

 

 

 …なお余談ですが、秘密結社として有名なフリーメイソンもシンボルに知恵の象徴としてフクロウを用いています。個人的には自分達が賢者だと言っているような気がして多少鼻持ちならないですが。

 
さらに、アメリカのワシントンDCと日本の国会議事堂も、上から見ると不思議なことにフクロウの形をしています。
 
owl_s7 ←ワシントンDC

 

 
 ←国会議事堂
 
都市伝説でよく話題になりますが、これをもってアメリカも日本も裏でフリーメーソンに支配されていると主張する人もいます。ここではこれ以上深堀りしませんが、世の中結構このような類のシンボルやサインといったものが使われているのもまた事実です。
ちょっと頭の隅にでも置いておくと違ったものが見えてくるかもしれません。
 
 
 

 
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