半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

行き過ぎた効率化はシステムへの依存を生み「余裕」と「らしさ」を失わせる(その1)

   世の中「効率化」という言葉が花盛りです。特に企業活動においては効率が優先され、それは生産性という言葉で表されたりもします。

  

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photo by mag3737

 

   しかし巷間でよく言われるように、行き過ぎた効率化は歪みや弊害をもたらします。このことはしばしば議論にあがり多くの人の知るところなのでありふれた話のように思えますが、自分なりの視点で思うところを書きます。
 

◆効率化はシステムへの依存を生む

   「効率化」とは「選択と集中」を進め、ものごとを如何に短時間、小エネルギーで最大の出力を得るか追求するものとします。言い換えれば単位時間、単位エネルギーあたりの変化量を最大化する営みです。大雑把な説明ですが、多くの人が協力してものごとを進める協業や、職人などの専門家が1人で全てを作り上げる専業に対して、作業を分割、細分化して分担する分業を行うことによって効率が上がるとされています。(なおこれは大量生産などの「経済的分業」であって、男女の役割分担などの「社会的分業」は必ずしもこの例には当たりません。)
 
   分業すると作業が細分化されるので、最終的な目的を達成するためには細分化した作業を繋げ、まとめあげて全体を統括するシステムが必要になります。工場の生産システム、企業の会計システム、家計の小遣いシステムしかり。分業が進めば進むほど個別の作業の汎用性は薄まり、作業同士を繋げるシステムの重要性が高まります。また分業による効率化をどんどん進めると作業の専門性が高まり、それに従事する作業者の技能と専門性が高まってより効率化が進むことになります。これは一見良いことのように思えますが、一方で作業の属人性が高まりその人が欠けると作業が止まってしまう事態を招くので、それを補う仕組み(補欠要員など)がシステムに要求されます。
   このように効率化を推し進めるほどにシステムの重要度が増していき、人はそれに依存するようになっていきます。
 
   効率化したシステムの代表的なものが資本主義であることは多くの人が認めることと思います。そして資本主義において分業の出力を交換する手段として流通しているのが「お金」です。すると経済が発展するほどに人はお金への依存を強めていくことになりますが、今の世の中まさにそうなっていないでしょうか?
 
 
   なんだか政治経済の授業みたいですね。こう毎日暑いと仕事の効率が著しく落ちるので(やる気の問題ですが)効率について書いてみました。まだタイトルの前半部分しか言語化できていませんが、1つずつ書いていくと長くなるので続きはまた稿を改めて。