ブログの書き方を忘れてしまったのでリハビリします。
さて実に長い間更新が途絶えてしまいました。今年頭に3記事書いてから半年の放置。(たった3記事…!)
◆継続は力なりっていう言葉そのまま
継続とは思っているより大変難しいもので、続けられている間はさほど意識することはありませんが、一度途絶えてしまうと再開するためのエネルギーなりモチベーションはぐっと多大なものが必要になります。巡行運転するために習慣化なり生活の中に組み込む仕組み作りをしてしまえばいいのですが、義務であったり生活に必須の項目ではないために本当に小さなきっかけで停止し、ややもするとその状態が長く続きます。これは楽な方に流れたがる人の心理とか自分の弱さもそれに拍車をかけますね。「継続は力なり」という言葉は実に普遍的な法則を表しています。
続きを読む
ゲスの振り見て我がゲス直せ
いつも浮き世からズレたことばかり書いているこのブログですが、たまには時事ネタでも。
◆騒がしい世の中
年が明けてからまだ3週間と経ちませんが、世間を賑わせる出来事がまるでワザとやっているかのごとく盛り沢山です。中でも、人気タレントとロックバンドのボーカルとの不倫疑惑報道がここのところやたらと騒がれていることは皆さんも見聞きしていることでしょう。この騒動について、離婚届を卒論と言い換える言語感覚がアーティスト的だとか、これまでリリースしてきた楽曲が伏線ではないかとか様々な見方が交錯していますが、それはそれとして私はインターネッツ界隈における今回の件に対する反応に何か特徴的なものを感じてしまいます。
今回の騒動を見ていると、(私が観察する範囲では)不倫行為そのものに増して、「これまで清純、純粋、正直者なイメージを売りにしていたタレントが実はそうしたフリをしていただけで、裏では正反対の行動をしていた」という事に対してSNS等でここぞとばかりに攻撃している向きが少なからず見受けられるようです。当然ながら不倫は罪悪です。当事者同士は感情の昂りや背徳感、一時の気の迷いなどがあるのでしょうが、不倫には必ずその当事者の伴侶という被害者が存在します。その人が受けた不道徳な行為、裏切り、屈辱、喪失感を考えるととても正当化できるものではありません。しかしそれ以上に、「純真な人間性を押し出していたことが、やっぱり良い人ぶっているだけであることが露呈した」ということが格好の餌食にされているようです。ゲスの極み氏に関しては名は体を表すで特に言及することはありませんが、相手とされるベッキー氏に対する上記の攻撃が熱を帯びている状況です。
◆ネットで叩かれる「良い人」
ネット社会におけるスタンドアローンコンプレックス(集団的無意識の総意)は、理想論や正論を語ったり道徳的に正しいことを述べたりする、いわゆる「良い人」を敵視する傾向があります。匿名掲示板やヤフーニュース等のコメント欄を見ればその例は枚挙に暇がありません。この辺に関連することは過去記事(ネット言論の偏りに透ける現実 - 半可通素人)でも書きました。これまでスキャンダルなどがなく綺麗な印象を持たれていた氏に起こった今回の疑惑は、そうした意味でうってつけの燃料が投下されたことになります。「偽善者の化けの皮が剥がれたいい気味だ案件」の到来です。
ですが、ここで鬼の首を取ったかのごとく吊るし上げる対象はそこなのでしょうか?先に述べたように不倫は悪いことです。当人達に反省が必要なのも明らかですし、被害者となった当事者の奥様に対する謝罪と償いは最低限なされるべきです。しかし外野がとやかく首を突っ込んだり、当事者の人間性をあげつらって徹底的に槍玉にあげるのはいささか度が過ぎないでしょうか。「このような不正な行為を叩かないといつ自分にも降り掛かってくるか分からないので予防の意味でも糾弾する」という意見がありましたが、ことは刑事ではなく民事ですので筋が悪いでしょう。
◆本当のゲスの極みとは
思うにこれら以上にゲスなのは、私的なやり取りであるLINEの内容を漏らし無関係の第三者の目に晒す行為とか、そのリークをネタに社会悪を断じる正義面をしながら部数を稼ぎ金儲けに使う週刊誌とかではないでしょうか?これらをこそ叩いてしかるべきですが、おテレビ様を始めとしたネット含む世の声は不倫ネタを消費するのに興じるのみで「本当のゲスの極み」を見過ごして矮小化しているように見えます(テレビ見ないので憶測ですが)。偽善者いい気味だ叩きに至っては、健全な批判ではなくて個人を集団で攻撃するイジメ行為を楽しんで溜飲を下げているだけというのがその実態ではないかと感じますがいかがでしょうか。
さらに、そうしたネットにおける「良い人を敵視する勢力や風潮」が高じてくると、コミュニケーションや議論の公平性が阻害されるという弊害が生じてきます。これは個人が夢や理想、道徳を語ると途端に「偽善者!」「お前だって悪いことをしているだろう!」などの攻撃を受けるがために、予めそうした発言を控えてしまうということです。これでは意見に偏りが出ますし、対等な立場に立ったうえでのコミュニケーションができません。そして既にこの傾向はよく見られるものとなってしまっています。ネット言論が窮屈なものに感じられますし、現実でもネットでも声の大きい人が勝つというのは世知辛いものです。
そんなことを考えたこの頃ですが、最近ふと思い立って読んでいる「トムソーヤの冒険」でトムが恋をする女の子の名前が“ベッキー”ということに何やら不思議な巡り合わせを感じざるを得ません。ということでこんな記事を書いている次第。
◆ちなみに
今回取り上げた騒動の他にも、SportsMusicAssemblePeopleとかウィッシュとかバルスとかで世間の目はテレビに釘付けですが、こういうメディアがやたら騒ぎ立てる時は得てして庶民に知られたくない出来事が同時に進行しているという見方が立ちます。国外ではトルコとインドネシアでテロ、原油価格の下落、中国の株暴落、ドイツの難民受け入れに伴う犯罪、イランやシリアなど中東を巡る緊張など戦争でも起こしそうなきな臭い情勢です。国内も株価続落、省庁地方移転方針、辺野古での権力の横暴。国会も開いていますがとても見られたものではありません。
脊髄反射ばかりではなく、ものごとの複合的な面に目を向けるように思考を働かせてみる。その情報によって自分の意識がどこに向くのか、向けられるのか。あるいはそれによって見えなくなっていることは何か。先入観に縛られていないか。残念ながら情報の提供者は私達の方を向いているとは限りません。自ら主体的に考え判断しないと、メディアが目先にぶら下げる餌に踊らされるだけに終わってしまいます。
以下ご参考;
これこれ。ホントこれ。
お風呂で寝る人は実は失神しているという話
冬の真っ只中のこの時期、温かいお風呂に入るのは至福の時間です。湯船にゆっくり浸かっていると、日本人で良かったなあなんて気分になる時もあります。
ぬくぬくと温まっていると気持ち良くなってそのままウトウト…という経験は多くの人にあると思いますが、実はこれが危険な状態という話があります。
◆お風呂で寝る=失神⁉︎
お風呂で湯船に浸かると眠くなるというのは、一般的な眠気とは異なります。入浴時に起こる血圧の急激な上昇と、その後の血管の拡張によって起こる血圧の降下に伴って、一種の失神状態になっているというのが実態だそうです。
高血圧の方は特に注意が必要で、また高齢者が風呂で意識を失う、いわゆるヒートショックと言われるのもこの状態を指します。話題になったのでご存知の方も多いかもしれません。
危険なのは湯船で失神すると溺水の可能性があるということです。話によるとこれにより年間1万人以上の方が亡くなっているそうで、交通事故よりも件数が多いです。気持ち良く眠っていたのが実は溺死の危険性があった…というのは怖い話ですね。
◆楽しいお風呂時間を
これを防ぐためには、寒い時期は脱衣所や浴室を温めてから入浴することです。また、入浴前のかけ湯をしっかりする、半身浴にする、水分を取るなどの方法があります。1人暮らしでない場合はお風呂に入ることを家族に告げる、長時間出てこない場合は様子を確認するということを心掛けるのも良いでしょう。ヘトヘトに疲れ切っている時は一度寝てから入浴するかシャワーで済ます、それ以外にも眠くなったらすぐに上がるということも有効です。
とはいえ寒い時期のお風呂は他に代え難い癒しの時間です。お風呂でぼーっとしていてブログのネタを思い付くこともあります。身体に起こりうる変化を知って、安全にお風呂時間を楽しみましょう。
これキャンプにすごく良い。即席露天風呂。
脳髄に捧げる幻魔作用(ドグラ・マグラ)
… … … …ブウウ ― ― ― ― ― ―ンンン ― ― ― ― ― ―ンンンン … … … … … … 。
「 … …お兄さま 。お兄さま 。お兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さま 。 … …モウ一度 … …今のお声を … …聞かしてエ ― ―ッ … … … … 」
スカラカ 、チャカポコ 。チャカポコチャカポコ … …
… …ブウウウ … … … …ンン … … … …ンンン … … … … 。
という本です。
◆読むと精神に異常をきたす本
- 作者: 夢野久作
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1976/10
- メディア: 文庫
- 購入: 49人 クリック: 1,605回
- この商品を含むブログ (382件) を見る
- 作者: 夢野久作
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1976/10
- メディア: 文庫
- 購入: 41人 クリック: 466回
- この商品を含むブログ (207件) を見る
有名な本なので聞いたことがある方も多いでしょう。読むと精神に異常をきたすとか言われているので、知名度の割に実際に読んだことのある方がどれくらいいるのか気になるところです。かくいう私も手を出さずにいたのですが、怖いもの見たさも手伝って読んでみました。日本三大奇書の1つと言われているだけあって、内容は奇妙奇天烈、複雑怪奇な趣向です。冒頭の抜粋を見ていただいただけで雰囲気は伝わるかと思います。
主人公の男は大学病院の精神病棟で目を覚まします。しかし記憶が一切無くなっており、自分の名前すらも思い出せません。そんな主人公の前にこの大学病院の医学部長である若林博士が現れます。博士曰く、主人公はある重大な犯罪事件に関わっており、自身の記憶を取り戻す事が事件解決の大きな鍵を握っているとのこと。そして若林博士の前任であり、「狂人の解放治療」という壮大な実験を行っていたが自害した正木博士という人物が遺した研究資料が記憶を回復するきっかけとなるだろうと言い渡されます。正木博士の資料に目を通す主人公ですが、それはとても普通の文章とは言えない奇妙なものでした。更に主人公の前に自害したはずの正木博士が現れ…。
古い漢字や仮名遣いが多用されているので、お世辞にも読み易いとは言えない体裁です。これだけで読者を遠ざけてしまっている感が否めません。また、不可解な記述が延々と続く中盤に話の先が見えず、読むのを諦めてしまいそうになります。しかしそれを乗り越えると終盤で物語がきちんと展開します。
◆唯物論と観念論
話は人間の精神というものの不可解さ、業の深さ、そうしたものは人の身体のどこに由来するのか(脳髄という言葉が繰り返し出てきます)といったことを巡ります。私が興味を引かれたのが、正木博士の言を借りて、世の中の科学技術と言われるものが唯物論に偏り過ぎており、観念論の重要性が蔑ろにされていると作者が批判していると思われる点です。
唯物論と観念論とは、哲学の分野でよく使われる対義的な概念です。大雑把に言うと、観念や精神、心などの根底には物質があると考える唯物論に対して、精神の方が根源的で、物質は精神の働きから派生したとみるのが観念論です。
認識論などにおいても、例えば人間の個性について考える時にどちらの立場を取るかで考え方が違ってきます。唯物論では、人間にはもともと個性などなく、生まれた後に形成され発展していくものであるとします(精神とはあくまで後から派生する)。対して観念論では、個性は先天的に持って生まれてくるものであり、もとより備わっていると考えます(精神的なものが先にあり、それが肉体に宿る)。世界の在り方をどのように見るかという大きな問いに対する解釈の違いなので、容易に答えが出るものではなくこれだけで幾つものことを議論の俎上に上げなければいけません。私もまだまだ勉強不足です。ですが簡単に済ませると、個性の例を見るに世の中一般としては観念論が優勢であるように思えます。
私見ですが、観念論は精神がもともとあるものとして考えるので、色々な事の説明が比較的簡単に済んでしまいます。よく分からない個性という問題も、それがもともとあるものとしてしまえばその構造や成立過程をそれ以上追及しなくていいからです。一方唯物論は観念や精神を前提にしない分、物事の構造や成り立ちを徹底的に暴かなければならず、より厳密さを求められる厳しい立場です。人は楽をしたがるのでつい観念論的に思考しがちですが、学問として広く一般に役立てる論を打ち立てるならば、唯物論の立場から説くのがより本質的ではないかと思います。
とは言うものの本作は精神の不可思議さを主題にしているので、観念論を重要視するのは必然でしょう。
もう1つ興味を引かれたのが、本筋とは関係ありませんが、幽霊などのいわゆる心霊現象と呼ばれるものは人の精神活動の結果起きる類ものである、と書いている点です。幽霊の正体見たり枯れ尾花、病は気から、などと言いますが、霊的なものを人の精神が引き起こした現象と考えている点に新しさを感じました。
難しい本ですが、話のタネと脳髄の肥やしに一読してみるのも一興です。
しかしブウウ……ンン……ンンン…なんていう時計なんてあるんですかねと思っていたのですが、どうやらモデルとなった時計が存在するそうですね。
◆というわけで
新年明けましておめでとうございます。今年一発目がこれかよ!という記事ですが、読んだことがネタになるというインパクト重視で書きました。少し精神がおかしくなっているのかもしれません。
本年もマイペースですがやっていこうと考えていますので、拙ブログを宜しくお願い申し上げます。
これは革命である:モバイルハウス 三万円で家をつくる
◆モバイルハウスという「新しい家」
- 作者: 坂口恭平
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/08/21
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (7件) を見る
タイトルだけで既に惹かれるものがあります。家というと人生最大の買い物と言われるように、高額なものであるという前提を私達は刷り込まれています。そこへきてこのタイトルは大いに挑戦的であり、中身が気になろうというものです。
著者の坂口恭平氏は建築家を志していたものの現在の建築界に疑問を感じ、路上生活者の家を調査することをフィールドワークとしながら多くの著作を出している人物です。「独立国家のつくりかた」という本で話題になったので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
本書は著者が隅田川沿岸で見つけた一軒の路上生活者の家をきっかけに、車輪の付いた動く家、「モバイルハウス」を自分の手で作っていく過程を描いたものです。
既存の家の在り方に疑問を抱くくらいですから、著者の思考態度には対象を根源から見つめ直す視点があり、常識に囚われがちな凡人(私)にとっては刺激的で好感が持てます。著者もそれを分かっている節があり、読者を煽るような革命家然とした雰囲気があります。また本筋とは関係ありませんが、著者の書く文章にはどこか小気味良いリズムがあり、どんどんと読み進められます。
◆本書が問う「家の在り方」
さて本書では、家賃を獲得しようとする土地所有者たちの視点だけでしか規格や家賃が考えられていない賃貸住宅、また持ち家も何千万円も払って土地に縛られた家を購入するが、本来人間が土地を私的に所有することの正当性を誰も論じることができないという、既存のシステムに対する疑問が主題の一つとなっています。
私達は既に出来上がっている仕組みに対する疑問はあまり持たない(ように仕向けられている)傾向にありますが、考えてみればこうした選択肢は誰かに都合が良いように予め用意され、その範囲の中で自由に選んでいると思わされているのが現実です。
私も本書を読む前から、何十年も借金を返し続けなければいけないローンを組んで、決まった場所に大金をはたいて家を持つという在り方に疑問を抱いていました。こういうことを書くと色々な人に怒られそうですが、地震を始めとした災害や原発事故のリスクを無視できないこの国で、身の丈に合わない借金を抱えて土地に縛られるというのはどうにも二の足を踏んでしまいます。かといって賃貸に住み続けると家賃を払い続けないといけないし、礼金というよく分からないお金も払わされたりと、行くも地獄、戻るも地獄状態です。
そもそも家の値段は何故あんなに高額なのでしょうか。ローンという仕組みも銀行が合法的に搾取する現代の奴隷制のような側面があります。さらに言うなら、お金という仕組みも誰かの都合が良いように作られた仕組みに過ぎません。
少々筆が滑りました。
◆システムを外れてみると面白いよ
面白いのは、モバイルハウスというのは車輪が付いているので土地と定着しておらず、現行の法律では建築物とはみなされないということです。
“つまり、モバイルハウスを建てるには、建築士の免許も不要で、さらに申請をする必要もなく、不動産の対象にもならないので固定資産税からも自由である。”
“モバイルハウスはもちろんエンジンがあるわけではないので自動車ではないが、自動車で牽引することができるキャンピングカーとは言うことができる。駐車場に家は建てられないが、キャンピングカー的なものであれば駐車することができるはずだ。”
こうして車輪の付いたモバイルハウスを自力で造り、駐車場に置くということで三万円で家をつくることが可能になります。このように、既存のシステムから外れてみると意外な発見、もう一つの現実と呼べるような世界が存在していることに気付くことができます。これも本書を読んで発見できることです。
一見突飛な発想でも、こうして実践している人がいるという事実がここにあります。
前述したような理由から、私は気に入った場所に自分で家を建てて住めれば面白いと密かに考えています。聞いた話だと数百万円で建てられるようですし。その土地に住めなくなったらまた何処かで建てればいい。古民家再生という手もあったりします。それが本書を手に取った理由の一つですが、ここまでいかなくても自分で家を建てるというのは十分実現可能なように思えてきます。当たり前と思っていることにも疑問を持つ、という点でも面白い本なので、一読してみる価値はある本です。
通りすがるコンビニ全ての前でことごとく寒空の下店員さんがクリスマスケーキいかがですかーと立って売っている。売れるのだろうか。それって何かの罰ゲームですかそれともこんな風に同情心をかって売る戦略ですか
資本主義ってなんぞやと思ってしまう夜であった
— 半可通素人 (@hnktusrot) 2015, 12月 24