半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

書くこと=感覚を濾過していくこと(その3)

 

◆言語化の能力を高める

 思考から曖昧なものを除き、情報量に制約のある文字で表現することが書くことという話をしていますが、ではどうすれば自分の思うように書くことができるのでしょうか。
 
 それには言語化の能力を高めることが鍵となります。これだけだと、ただの当たり前体操に過ぎず何の役にも立ちませんのでもう少し具体的に説いていくと、語彙と言い回しの引き出しをできるだけ沢山自分の中に備蓄することです。工具が無ければ工作ができないのと同様に、語彙と言い回しが乏しければ頭の中のことを上手く言葉に当てはめることができません。豊富な種類の工具があれば、様々な形を作れるし、より細かい造形も可能になります。
 

 語彙と言い回しの引き出しを増やすには、多くの言葉に触れることが重要ですが、手っ取り早いのは本でもネットでもこれは良い!と思った表現を拝借、即ちパクることです。ゼロから自分で積み上げていくのは骨が折れるので、既にあるものを活用します。またこれは良い!と思った表現は自分の感性に合致したものであるため、使っていく上での抵抗もさほど無くて済むという利点があります。

 

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photo by LeeLeFever

 

◆よく分からなければ分解してみよう

 そして言語化をしていくためにもう1つ重要なこととして、「大きい括りで見てもよく分からないので、自分でも分かる範囲の小さい要素に分解していく」ということがあります。大きい括りだと要素が絡み合った状態で捉えてしまうため、それを上手く言語に落とし込むのは難しいです。しかし分解して小さい要素にしてしまえば、それらはより単純になるため言語化するのが容易になります。
 
 木の絵を描く時に、ざっと輪郭を描いて葉を緑、幹を茶色に塗ればひとまず木と分かる絵ができますが、これでは何を描いたかイマイチ判然としないぼんやりとした印象になってしまいますし、見た方もまあ木を描いたんだな、でもよく分からないな、で終わってしまいます。そうではなく、葉の一枚ずつ、枝の一本ずつ、幹の節の一つずつを描いていき、その集合として木を描けばより対象を正確に表現できます。それと似たようなものです。
 
 人は目の前のことに囚われやすいため、案外最初から完成形で表現してしまおうとしていることが多いように思います。
 

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photo by Lutz-R. Frank

 

◆対象の構造に立ち入る

 このことの言い方を変えると、「対象の構造に立ち入る」ということです。抽象的な話になりますが、言語化したい対象に立ち入っていき、それがどのような構造をしているかを解きほぐしていく作業です。複雑な概念や、事実と意見、具体と感覚が入り混じったものでも、構造が解ければ順序立てて整理しやすくなります。
 

   この「構造に立ち入る」という時には、主観的な視点で立ち入るというあり方と客観的な視点で立ち入るあり方に分けられます。主観的な視点は文字通り自分が見たそのまま、感じたそのままに分解していくので割と簡単な方法です。というより意識をしなければそのまま主観的な視点になります。

 客観的な視点は自分の中に「外から見ている自分」という第三者の視点を据え、そこから見た時にどう映るかを解いていきます。文章の読み手も第三者に属するため、こちらの方が文の読み手にとって理解しやすい書き方になりますが、自分の中に第三者の視点を置くということに多少の慣れが必要です。

   私は冷めた第三者の視点で文章を書くことが多いので、読みやすいと言ってもらえるのはそうした姿勢によるものと思います。ですが書き手の主観がたっぷり入った文章も、その人の主義や思想が色濃く反映されているので好きです。

   ブログはどちらかといえば主観的な文章をもりもり書いた方がいいのでしょうか?←これが既に客観的な姿勢になっているような。

 

 

…書き出すと終わらないいつもの悪い癖で、まだ続きます。