半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

「みんなちがって、みんないい」じゃないと病んでるし楽しくないよね

    先日の記事で川についての話を幾つかご紹介しました。少しでも興味を持っていただけたら幸いですが、私がいわばニッチな分野である「川マニア」になっている理由の一つに大学在学時に行っていた研究があります。

 

生物多様性に関する研究

   子供の頃からの釣り好きが高じて魚の勉強がしたくなり大学に進んだ訳ですが、研究は「河川の蛇行復元に伴う魚と水生昆虫の種多様性回復」というものをテーマとしてやっていました。先日の記事(瀬を踏んで淵を知るべし:川について知ってみよう - 半可通素人)でも書きましたが、人類の諸活動による環境破壊の一つとして河川環境の多様性が失われ、そこに棲む生物の多様性も大きく損なわれてしまっています。一頃から「生物多様性」という言葉が環境保護のキーワードとして取り上げられるようになっていますが、私の研究もまさにそこに寄与するものとして取り組んでいました。

   さわりだけご紹介すると、直線化された河川において国の事業で蛇行が試験的に復元された場所があり、その試験区での環境と生物(魚類および水生昆虫)のモニタリング、直線部分との比較等を行い蛇行復元が生物の種多様性に及ぼす評価をするというものです。ダイビング用のウェットスーツを着て毎日川に潜り魚の生息数調査、水深や流速等の環境の測定をしていました。

 

http://www.flickr.com/photos/49208525@N08/9899172844

photo by U.S. Fish and Wildlife Service - Midwest Region


 

↑まさにこんな感じ。はたから見ると完全にただの不審者然としているのが残念ポイントですが、科学の発展と教授の信頼に応えるためにはそんな些末なことなど意に介してはいけません
 

◆人間社会における多様性

   さてここでキーワードとなっている「多様性」という言葉ですが、自然環境に限らず人間社会においても重要な要素であることは論を待ちません。人種、能力、性格、価値観、信条、得手不得手、興味嗜好、職業、宗教…など様々において多様さを持つ人々によって社会が構成されており、それが世界の面白さ、奥深さにも繋がっています。文化芸術が発展し、社会が成熟していくためにこうした多様性は欠くべからざる要素です。
 
   社会で生活を営む個人にとっても多様性は重要です。人はその成長過程において、多様な考えや価値観に触れ自己の世界を広げること無しに思考や精神、人格といった内面の成長は遂げられません。私にとっては大学の寮における集団生活がまさに多様性に放り込まれその後の成長を感じることができる経験でした。この辺は過去記事(何も話さなければそこにいないのと一緒である、という不都合な真実 - 半可通素人)をご参照ください。
 
   金子みすゞさんが書いた「私と小鳥と鈴と」という詩の中に、「みんなちがって、みんないい」という大変有名な一節があります。多様性とはまさにこの「みんなちがって、みんないい」状態を大事に保つことだと言えます。(詩の全文はこちらで見ることができます→私と小鳥と鈴と
 

多様性を担保しない社会は病む

   従って、多様性を担保しない社会は構造的に病むことになります。画一的な状態によって硬直化が進み社会の成熟が鈍化し、発展は望めず、そこに属する個人の成長も大きく期待できない状態に堕ちることとなります。そのような社会は魅力的でしょうか?また昨今国際化の波が押し寄せ世界との距離が縮まっている状況において、多様性を認め自らもその多様性の一部であることを認識することが求められています。
 
   今の日本社会を眺めるとどうか、という点で考えてみます。
 
   戦後奇跡と呼ばれる経済成長を遂げ、日本は「一億総中流」と称される分厚い中間層が形成されました。企業を見ても、裾野の広い自動車産業を中心に幅広い多数の中小企業が日本のモノづくりと技術革新を支えてきました。労働者および産業構造の多様性によって日本は発展してきたという側面を認めることができます。
   しかしバブル崩壊後の「失われた20年」とグローバリズムの名のもと進められた成果主義の導入、終身雇用の崩壊、非正規雇用の拡大などによって近年経済的格差は拡大する一方です。結果現在の日本において、子供の6人から7人に1人は貧困状態にあるという衝撃的な事態があります。(第3節 子どもの貧困|平成26年版子ども・若者白書(全体版) - 内閣府)。中間層は消失し、中小企業は苦境に陥り一部の大企業のみが巨額の利益をあげブラック企業非正規雇用者を食い物にしています。また少子高齢化が進み、若年世代が減少していることも多様な社会の担い手がいなくなるという点で大きな問題です。
 
 
   かつての成功体験に縛られ、経済的合理性の追求を推し進めた結果私達の社会は分断が進み病んでしまいました。国内の事情だけではなく世界情勢や諸外国との関係も複雑に絡んでいるためそう単純ではありませんが、「多様性」という観点から社会を見つめた時に見えてくるものがあり、そこから今私達が生きている社会、これから生きる社会をより良くしていくヒントが得られるのです。