半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

教育は人の問題 ≦ 環境の問題だった?(その2)

◆精神的な低年齢化が進んでいる・・・のか?

 教育の問題に関してしばしば挙げられるのが、精神的な低年齢化についてです。
 
 これは近年では授業中にじっと座っていられなかったり、すぐにキレる子供などとして表面化しています。そして子供だけではなく、低年齢化したまま成長した大人にも、無意味な権利意識を振りかざすモンスターペアレント給食費を未納する親、証拠のパソコンにドリルで穴を開けておきながら選挙で再選されて涼しい顔をしている人、説明しても分からない人がいるからといって説明せず辞任する大臣など、呆れるような例には事欠きません。
 

 「水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる。」という言葉の通り、放っておけば人は安易な方向に向かいます。そのため片付けなければ部屋が散らかっていくのと同様に、人はそのままでは低年齢化していく向きに方向づけられているようにも思えます。そこに近年の個性偏重教育が拍車をかけ、ますますの低年齢化として現象しています。

 個性偏重、ゆとり教育が失敗しているのは最早火を見るよりも明らかですが、それにはこうした人の性向に目を向けずに上辺だけ体裁を整え、聞こえの良い方策しか採らなかった無策が背景にあると言えます。

 

 こうした低年齢化は若い世代に多く見られますが、「最近の若者はうんたら」という記述は古代エジプトの遺跡から既に見つかっており、遥か昔から繰り返されてきた議論です。当たり前ですが人は未熟な状態で生まれてきます。上の世代から見れば若い世代が「クソガキ」に映るのはいつの世も同じことなので、このクソガキをどのように社会の一員として育てていくかが重要であり、そこに教育の大事性があります。

 育てなければ人は創られないのであり、それは社会の一員である以上誰もが取り組むべき仕事です。教育の弱体化は個人の弱体化を通じて集団の弱体化、ひいては国の弱体化に繋がります。

 

 「教育は国家百年の計」とはよく言ったものです。