教育は人の問題 ≦ 環境の問題だった?(その3)
◆好かれたいから上下関係を装うという風潮
上下関係において上が下に教育をする際、上が下に意見を強要するだけではただの押し付けになるため、多くの場合教育をする上は下の面倒を見るという対価を支払わないといけません。つまり「面倒を見る上↔︎教わる下」という関係を下地として教育が行われます。人間ですから、下も見返りがなければ反発して離れていきます。そしてこの関係においては上に見返りがないように思われますが、既に上は自分の上に面倒を見てもらったという経緯があり、その恩を自分の下の面倒を見るということで間接的に返していくという構造をしています。このような世代間の受け渡しによって集団に必要な要素が浸透し、集団の質が維持されます。
こうした暗黙の了解のもとで維持されていた上下関係が私達の少し上の世代から崩れ始め、下の世代では形骸化が一層進んでいるというのが友人と私の意見です。これは私達のいた寮についての話の中で出てきたので、私達の見た範囲の話でしかありません。しかし広く社会を見ても上辺の形だけの上下関係が幅を利かせ、人間関係の希薄化が進んでいることは多くの人が実感できる事実です。
そのような状況になった原因には多くの要因が挙げられますが、友人の指摘は「下の世代は自分達の下の面倒を見るには見ていたけど、自分が気に入られるためだけに面倒を見ていた感が強い」というものです。これには成る程と思いました。
これに関しての私の理解は、先に述べた精神的な低年齢化なども影響して上下関係の希薄化が進み、上辺だけを見た結果「面倒を見てもらった恩を忘れて自分にも短期的な見返りを求めている」というのが根底にあるということです。
先輩としての仕事を放棄して目の前の利益に飛びついてしまう状況。下の世代がこうなってしまったのは、それを伝えられなかった自分の責任にもなるのですが…。
今回は私の経験に基づいた話を扱ったので分かりにくい所もあったかと思いますが、次の話は高校までの教育について進めていきます。