人生の満足度を上げるために重要ないくつかのこと(その1)
前回の記事(人類みな変態説 - マサルさんに学ぶ「普通とは?」 - 半可通素人)で人類はみな変態なんじゃないかという説を書きましたが、今回は違う変態について。
◆もう1つの「変態」
変態というと通常と異なるとか、常軌を逸したといった文脈で使われることが多いですが、もう1つ、「形態を変える=変化」という意味での変態という言葉もあります。昆虫が幼虫から蛹を経て成虫になるさまを変態と言うのを思い出してもらえると分かると思います。
人間においては昆虫のような著しい形態の変化はありませんが、「中身の変化」という変態があります。「中身は変態」というのはよく見聞きしますが、「中身の変態」についてはなんとなく生きているうえでは気にかけないことではないでしょうか。
◆子供の変態、大人の変態
こうした観点で見ると、人間の子供期は成長が目覚ましいもので放っておいてもどんどん感情、思考、認識などが変態していきます。そして周りの大人も子供の変態を促すためにいろいろ手を貸します。翻って大人はどうでしょうか。大人はだいたい自分のことは自分1人で出来てしまい、また現状を変えるための労力を惜しみがちになります。さらに社会的にも大人として自立していることを求められるので、周囲からあれやこれやと手を貸されることもありません。つまり変態のためのエネルギーと条件付けが子供期に比較してすこぶる減少します。
◆中身の変態は人生の満足度に影響する
これらは人間にとって特に何の変哲もない当たり前のサイクルに見えます。生物としてはこれで特に問題ありません。しかし人間は認識が発達し本能を上回っているので、「自己の認識を発展させること=中身の変態」についての欲求があります。そしてこの中身の変態には明確な到達点が無く際限がありません。どこまでいっても足りない所がある気がするし、自分よりあいつの方が上回っているなと思うことが沢山あります。ここが人間の人間たるゆえんでもあり、時代年代を問わず追求されてきたテーマでもあります。
そうしたどこか掴み所のない、でも何か気になる中身の変態は、人生の満足度に影響します。言い換えると、自己の変態に対する欲求をどれだけ叶えられるかによって自分に対する満足度が変わってくるということです。これを意識的に行えるかどうかというのが実は人生にとって重要である、というのが私の持論です。
キーワードは、「変態を常態」です。中途半端な所で終わるので続きは次回に。
…どちらにしろ変態バンザイ!ということなんですが。