半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

選挙に行かないと欲求段階下がっちゃうよ、そんなのは嫌だ!

“メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐な王を除かねばならぬと決意した。”
 
 これはかの有名な「走れメロス」の冒頭部分ですが、まさにこのような強い憤りを感じました。この本にも同様の記述があります。
 
 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』という本があります。

 

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

 

 

 特定秘密保護法の施行が12/10、暴走安倍政権の自己都合解散総選挙が12/14と迫る中、この本は今全ての人が読むべきと言える一冊です。
 日本が抱える巨大な闇を分かりやすく説いてくれます。
 
 こういうことを書くと右だの左だの、お前の政治的思想なんか興味ないなどという思いを抱かせてしまうかもしれませんが、これはそんなこと以前の問題です
 
 マズロー欲求段階説という学説をご存知でしょうか。これは、「欲求には段階があり、いわゆる3大欲求(食欲、性欲、睡眠欲)が最も低次の段階となる。承認欲求や自己実現の欲求などはそれらより高次に位置している。人はより下の段階の欲求が満たされないと上位の欲求が現れない。」というものです。
 「衣食足りて礼節を知る」という諺なら、より多くの人が知っていますね。
 

  戦後日本は驚異の高度経済成長を遂げ、経済的には先進国の仲間入りを果たし豊かな社会を実現しました。3大欲求から始まる低次の欲求が満たされたことで、より上位の欲求を追い求め、娯楽や藝術、社会活動といったものを醸成してきました。

 一方で今の社会を振り返ってみると、精神的な豊かさを置き去りにした表面上の豊かさばかりが咲き誇っています。また今、格差が拡大し貧困は固定され、実感のない景気回復が声高に叫ばれ、隣国との関係はこじれたまま不安が増幅されています。
 このままいくと最下位の欲求すら満たされない社会が到来するでしょう。既にその兆候はニュース等で見聞きしていることと思います。
 
 では何故こんなことになっているのか?
 1つには政治と国民が乖離し、政治の暴走を許していることにあります。政治のことはよく分からないし、と敬遠してしまいますが、その無関心が自分の生活を脅かすのもまた残酷な現実です。気が付けば消費税は増税が既成事実として決定され、TPPに反対のはずだった自民党はTPP参加を推進し、集団的自衛権閣議決定し、史上最悪の原発事故は収束の気配を一向に見せないまま今に至っています。
 国民のあずかり知らないところで重要法案が決められ、私達の暮らしはどんどん望まない方向に追いやられているのです。
 
 はっきり言って国民は舐められています。これはひとえに国民は無知で無関心であると政治屋や官僚にたかをくくられているからです。無知はもはや、自分のみならず周りの人も不幸にしてしまう罪とさえいえる状況が今の日本です。
 この本を読めば日本に巣食う根本的な問題について理解することができます。特に沖縄の基地問題と福島に象徴される原発問題について。
 私はこれまであまりに無知だったことが恥ずかしくなりました。大袈裟ではありません。
 

 

米軍の飛行は日本の上空をどんな高さで飛んでもいいことになっています。もちろん沖縄以外の土地ではそれほどあからさまに住宅地を低空飛行したりはしませんが、やろうと思えばどんな飛び方でもできる。そういう法的権利をもっているのです
でもそんな米軍機が、そこだけは絶対に飛ばない場所がある。
(中略)
こうしたアメリカ人が住んでいる住宅の上では絶対に低空飛行訓練をしない
なぜでしょう?
もちろん、墜落した時に危ないからです
冗談じゃなく、本当の話です。”

 

 
 こうした驚きの事実がいきなり突き付けられます。このような事実を知った時、当然ながら米軍に対して怒りの感情を覚えるでしょう。しかしことはそう単純ではなく、むしろ日本側に大きな問題があるのです。詳しくは本書を読んでください。
 
 

 

“こういう「公安関係の問題」(ということになるのだそうです)は、基本的に「つかまる、つかまらない」は法律とは関係がない(!)。公安がつかまえる必要があると思ったら、なにもしていなくてもつかまえるし、必要がないと思ったら、つかまえない。
公安がよくやるのは、近づいていって、なにも接触していないのに自分で勝手に腹を押さえてしゃがみこんで、「公務執行妨害!逮捕!」とやる。これを「転(ころ)び公妨(こうぼう)」というそうです。それは一種の伝統芸のようなもので、その名人といわれる公安までいる。そういうものだと。”

 

 
 こういう転び公妨について、私は最近知りました。京大の構内で公安警察が学生に拘束され、学生寮に機動隊が強制捜査に入るという事件が最近ありました。これはデモに参加した京大生が公安の肩にぶつかり検挙された、という件に端を発しています。京大生にはもともと左翼思想を持っている学生がいたことから、これも転び公妨で検挙し捜査という名目の弱体化工作で構内に不法侵入していた、という推論が容易に成り立ちます。国家権力とはこういうことを平気で行うのです。
 
 話が少し逸れましたが、何故沖縄で基地がなくならず、また米軍機が事故を起こし、兵士が犯罪等を犯しても日本の法で裁けないといったことが起こるのか。最近の辺野古移設問題を見ても、何故沖縄の人々の声は無視され続けるのか。
 

 

“なぜ、米兵が事故現場から日本の警察や市長を排除できるのか。なぜ同じ町のなかで、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばないけれど、日本人の家の上はどれだけ低空飛行をしてもいいなどという、めちゃくちゃなことが許されているのか。
調べていくと、米軍駐留に関するあるひとつの最高裁判決(一九五九年)によって、在日米軍については日本の憲法が機能しない状態、つまり治外法権状態が「法的に認められている」ことがわかりました。
(中略)
つまり安保条約とそれに関する取り決めが、憲法をふくむ日本の国内法全体に優越する構造が、このとき法的に確定したわけです。”

 

 
 日本の司法と政治はこんなバカげたことを放置しているのです。
 
 こんな言いたいことも言えないポイズンな世の中に対してどう行動すればいいのか。「ネットはバカと暇人のものである」と誰かが言っていました。幸い私はバカで暇人なので、このブログを使ってネット上にこの本に書かれていることを広げたいのです。
 ネットやSNSを活用しているのは比較的若年層が多く、実際に投票に行き選挙権を行使するのはテレビや新聞等、既存のマスメディアに依存する高齢層という現実があります。しかし、これからこの社会で生活を送り、社会を作っていくのは紛れもなく若年層の人達です。
 目の前の問題から目を逸らすことなく、自分の家族、大切な人を守るために行動することが何より必要です。権力に対抗する手段が限られている以上、無力感や何も変わらないという思いに囚われてしまいますが、それこそが権力の思うツボにハマる罠です。逆に権力は私達の数を恐れ、目先の快楽を与えて目を逸らそうとしているのです
 傍観者でいることはもう止めませんか?
 惰性に快を見出し責任を持たないことを選択するのは人の常ですが、そんな世の中はとうに終わっているのです。
 
 ところで最近、解散総選挙で白票投票を呼びかけているサイトがネット上で話題になっています。このサイトは「黙ってないで、NO!と言おう」というような大きな見出しで選挙で白票を入れようと呼び掛けています。
 しかし実際の白票は投票数として数えられるものの、意思表示としては何ら影響力を持っておらず、これは全くのデマです。白票やそれに準じる棄権行為は投票権を捨てることになり、かつ組織票に有利に働くので決して行うべきではありません。
 
 かと言ってどこに投票すればいいのか分からないよ!という場合には、ベストよりベターを目指すことが良いかと思います。自民党政権続投が最悪解であるのなら、その選挙区で前回の選挙時に自民党の次に票を獲得した政党に入れる。これで自民反対の票が割れることなく、自民の議席を減らすことができる可能性が上がります。最悪が最悪を招かないように行動できることは沢山あります。