半可通素人の漂流

哲学から魚のお話まで。半可通素人が書き散らかすネットの海を漂流するブログ。

ブログを始めて1年経ちました。

◆1年経った

   忘れるところでしたが、ふと気付くと昨日でこのブログを始めて丁度1年が経っていました。
 
   最初の記事がこちら。
 
   記事タイトル通りにささやかに始めて1年。「継続は力なり」というベタな感想を例に漏れず持つわけですが、まがりなくも続けてきたことで記事もそれなりに蓄積してきました。更新頻度は始めの頃はやはり張り切っていたものの、その後低空飛行で安定して推移しているので記事数としては誇れるものはありません。そしてジャンルを絞らず好きに書いているので分野は散逸していますが、広く浅く時には突っ込んで「世間を眺める私の観測所」を展開してきたというところです。
 
   最初の記事から当初のブログを始めた動機を振り返ってみると、
  • 書くことで思考をアウトプット
  • 日本語のお勉強
  • 日々の出来事や気持ちに生じたひだなどを記録したい
などとありましたので、1年経った所感をここに記しておきます。
 

●書くことで思考をアウトプット

   これは心掛けていることなので割と実践できていそうです。むしろダダ漏れに近いかもしれません。しかし考えたことをそのまま書くだけでは相手に伝わらないのできちんと言語化し、分かりやすく書かなければいけません。それがブログを書くことの意義であり、また自らを鍛えられる利点となります。
   「書くこと」については過去にシリーズでつらつらとしたためました。
 

●日本語のお勉強

   「伝わる文章を書く」という行為においては必然的に言葉を選ぶことになり、いかに適切な表現を用いるかと四苦八苦します。これだけで日本語の勉強になるので、書く、実践するというのは言わずもがな重要なことでありブログを始めたことで日常的に強化されている感覚があります。そして過去にも書きましたが、日本人なので安易な横文字やカタカナ語はなるべく使わないという自己規則を設けています。これも日本語表現の勉強になります。
   横文字やカタカナ語は使わないというのはブログ開設1ヶ月後に書いていました。
 

●日々の記録

   単にこんなことがあった、という個人の日記としての記事もありますが、過去記事を見返してみればどんな記事でも「この時はこんなことを考えていたのか」と振り返ることができ、「思考の記録」としての効用もあることが実感できます。これは蓄積型のメディアと言われるブログの利点であり、今後も続けることでコツコツ積み重ねていきたいところです。
 
 

◆最近のこのブログ

   平日のみ3日に1回程度更新の亀ブログですが、今後も細々と続けていくつもりです。最近少しPCページでの見た目を改変し、注目記事を10番目まで表示するようにしてみました。それまでは5番目まで表示でしたが順位に変動があまり無かったので、個人的にどんな記事が読まれているか把握するための改変です。
   するとちょっとした変化が起きました。しばらく観察していると6番目以降の記事は結構変動があることが分かったのですが、そのうち6番目以降から徐々に順位が上がっていく記事が出始め、あまり変動の無かった5番目までの順位に食い込み上位も変動したのです。恐らくはこれまで見えていなかった記事が可視化されたことで目に留まりアクセスを集めたのだと思います。こうした読む人の振る舞いが動的に体感されたのはブログ書きとしては興味深いことでした。
   詰まるところブログのデザイン大事だよっていう至極当然の結論です
 
   そして前々回の記事(本をいただきました。 - 半可通素人の漂流)で書いた、ブログ経由での本の譲渡。ネットを超えた現実の繋がりが構築できる場としてオフ会などは既に知られていますが、それに限らず物のやり取りや知的交流の場としてブログにはまだまだ未知の活用方法があるのではと感じられる出来事でした。少し大袈裟かもしれませんが、ネットの開放性、双方向性を活かしてブログを起点とした何かしらの渦を巻き起こしてみたい。
   今のところは素っ頓狂な思考を開陳して誰かの頭をちょっとくすぐる程度の存在です。
 
 
   思いつくままに書きましたが、1年なんてまだまだヒヨッコです。ネットの大海でプランクトンのように浮遊しながらしぶとく漂流を続けようと今は考えています。ちなみにプランクトンは自らの意思で水流に逆らって泳ぐことのできない浮遊生物という分類であり、自ら水流に逆らって泳ぐことのできる生物はネクトン(遊泳生物)と言います。そして水底に定着して生活する生物はベントス(底生生物)と呼ばれています。せめてネットの海深く沈められてベントスになってしまわないように精進せねば。
 

   ブログやってみると楽しいのでみんなやりましょう。

 
 

狂ってたのは、俺か?時代か?ー河鍋暁斎展を観てきた話

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   もう先々週になってしまいましたが、三菱一号館美術館で河鍋暁斎展というのがあり興味があったので観てきました。

   河鍋暁斎は幕末から明治にかけて活躍した日本画家です(河鍋暁斎 - Wikipedia)。戯画や風刺画が有名ですが写実の腕も巧みで画風は実に幅広く、底知れぬ才能をうかがわせます。
   暁斎という画家がいたことは浅学にして知らなかったのですが、私が実は妖怪好きであるということを聞いた友人に教えてもらいました。(ちなみに妖怪好きなのは小学生の頃にゲゲゲの鬼太郎にハマってアニメ放送と本を読み漁ったのが発端です。水木しげる先生は今でも尊敬しています。)友人のブログ記事は以下。他に鳥山石燕という画家も教えてもらったので今後勉強しようと思います。



   暁斎展の最終日間近だったということもあり会場は入場待ち列で並ぶ程の混雑でした。

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   これまで美術館など巡ったこともなかったのですが、少しは大人びた趣味も嗜もうという背伸びした気持ちもありつつ。実際に観てみると、やはり実物はもの言えぬ迫力があります。そして冒頭でも触れましたがコミカルな人物や動物の描写から仏教画、美人画までその画風の広さには驚くばかり。

   特に印象に残ったのが鯉の絵です。(私が無類の魚好きでバイアスが掛かっているという点を差し置いても)魚の動きの捉え方と静止画なのに泳いでいるような臨場感、そして水面に広がる波紋の表現がシンプルだけど奥深く、しばらく見入ってしまいました。有名な絵なのでネットで検索すると出てきますが、本物の力はやはり目の当たりにしないと感じ取れません。
   そしてどの絵を観ても目に特徴があるというか、命が宿っている印象を受けました。いわゆる目力ってやつですが、そういう俗な表現がおこがましいような迫力を宿しています。

   期待していた妖怪画が思ったほど点数がなくすこし肩透かし気味だったのが残念ですが、美術館デビューとしてはなかなか満足の面白さでした。

   興味がある方は書籍や今後の企画展をチェックしてみたり、埼玉の蕨に河鍋暁斎記念美術館があるので訪れてみてはいかがでしょうか。

   教えてくれた友人に感謝。


本をいただきました。

   ふとした邂逅。

   先日はてなブログ界隈を徘徊していたら、マトリョーシカ的日常(id:kyokucho1989)様の以下の記事が目に留まりました。

   これは滅多に無い機会と小躍りした私は早速本のリクエストを送り、厚かましくも本を3冊送っていただきました。
   いただいた本はこちら。

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モバイルハウス  三万円で家をつくる (集英社新書) →実は将来自分で家を建てて住んだら面白いじゃないかという密かな野望があり、書名を見て即座に飛びつきました。

私の読書法 (岩波新書 青版 397) →読書は空いた時間に何気なくページをめくる程度ですが、改めて本を読むということとその方法論を捉え返したく。

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社 α文庫) →思考というカテゴリはこのブログでもちょくちょく取り上げているので、書名だけで興味が湧きます。


   早速モバイルハウスを読み始めました。「家」という固定概念を軽く一蹴し、筆者の革命家然とした思考と文章のリズムが面白くどんどん読み進められます。詳しくは改めて記事にしようと思いますが、期待を上回る内容にこれだけで感謝感激です。

   私は新品にこだわらないのでむしろ積極的に古本を買うのですが、前の持ち主の方が分かっている(一方的にブログを追っているだけですが)という読書体験は新鮮であり、本を手に取ったときの心持ちも何だか違ってくるようです。そしてこうしたやり取りが可能になるネットというインフラとブログというメディアの開放性、双方向性は素晴らしい利点であり、その恩恵を享受できる境遇にあるのはありがたいことです。

   マトリョーシカ的日常の局長様が書くブログは思考の刺激ポイントに富み、多くの書評と日常の描写は思考に裏打ちされ読み応えがあります。そしてブログカスタマイズの記事も非常に参考になるものが多く、オススメです。読み終えた本をあげちゃうという太っ腹なところも素敵ですね。


   早く本を読みたい気もする一方でじっくり読みたい気もする。


オバケの英語は「ゴマ」と「ちくわ」、「プチトマト」、「インゲン豆」で理解せよ

   「中高大学と10年間英語を習っても話すことができない」…
 
   これは日本の英語教育の明らかな欠陥ですが、英会話と同様に発音も全然できるようになりません。これは英語教育が受験対策に特化していることによる病理ですが、発音に関しては言語の成り立ちが日本語と英語では大きく異なるということにも起因しています。発音が理解できなければネイティブの会話が聞き取れず、自分で話すにも相手に通じるかいまいち自信が持てません。かといって「それっぽく」発音してみると何だか気取っているような印象を受ける始末。
 
   どうにも手を焼く発音ですが、母国語でない以上訓練をしないと能力は向上しません。ということで本を買ってみました。
 

 

新装版 オバケの英語 【CD付き】

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Teach For Japan、クロスフィールズ、ヒューマン・ライツ・ウォッチという変革者たち − ソーシャルビジネス話の続き(その2)

   前々回、前回と書いている社会的企業に関するフォーラムの覚え書きの続きです。遅筆で恐縮です。
 
   この日は米倉誠一郎氏、NPO法人フローレンスに加えて、NPO法人Teach For Japan、NPO法人クロスフィールズ、国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチといったソーシャルビジネスを手がける団体が登壇していました。以下にそれぞれご紹介します。

 
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